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「建築に何が可能か-有孔体と浮遊の思想の55年-」展を見ました - Qu'en pensez-vous?
今回の記事は、少し展覧会そのものからは離れて、建築家原広司さんの空間概念に内容的に似たものがその他の場面で登場して来ていることなどについても書いておこうかと思います。
展覧会の動画中でも若干触れられていましたが、書籍「空間<機能から様相へ>」の最終章にて論じられている「非ず非ず」の概念についてですが、少し前に物理学者カルロ・ロヴェッリ「世界は関係でできている」の中に「非ず非ず」が登場している、と当ブログで記事にしてありました。↓
『世界は「関係」でできている』を読みました - Qu'en pensez-vous?
そして、私が最近見るようになった、本も出されている有名なYouTuberさんの動画の中にも、多分そのYouTuberさんはさすがに建築家の原広司さんのことは意識はされていないのではないかと思いますが、「非ず非ず」的なお話をされているのを発見しましたので、一応書いておきます。
ちょっとハッキリ書いていいかどうか不明なのでぼんやり書くと、飲み物の名前が入っているチャンネルのYouTuberさんの、二コラ・テスラに関する動画の最後の辺りに、ちらりと、有ることと無いこと、有と無は同義である、という感じのことが語られていました。
物理学の世界からオカルト界まで、思わぬ場所で「非ず非ず」概念が見い出されるようになってきており、時代が追い付いてきた感があります。
そのYouTuberさんの別の動画の中で、(設計者は全く違いますが)六本木ヒルズの建築の空間構成について私と似たような感想を抱いていらっしゃるようだったので、ちょっと安心したりもしていました。
六本木ヒルズはオランウータンが設計したかのような空間構造をしている - Qu'en pensez-vous?
なぜそのような空間になっているのか、谷など、地形の側面から建築がそのようなフロアレベルを取るというようなお話もされていたりもしたので、なるほどと思いながら見ていたことがありました。
今回の「建築に何が可能か-有孔体と浮遊の思想の55年-」展は有孔体がメインだったために、この展覧会の切り口では、あまり地形と建築の関係についてフォーカスされてはいませんでしたが、原広司さんの建築は、地形を重視する所が、重要な点だったのではないかな、と思い出しました。
特に、反射性住居などは斜面を利用して建築されていたり、京都駅は建築自体が地形の擬態をしていますが、その地形と建築の関係性は世界集落調査から導き出されたものなのだと思います。大地から自ら生えて来たかのようにして建築がそびえている様子は、書籍「集落の教え100」に多くの集落の写真が掲載されているので、見るとよくわかると思います。
そして、場に力があったり、あるべき場所に戻る、といったトポスの概念も、原広司さんによって現代に蘇った空間は均質でないとする感覚質であり、常に均質空間に抗う姿勢は、原広司さんのような意欲的で革命家風の建築家の方が盛んに言い続け我々が聞き続けなければ意識し続けるのが難しいかもしれない特別な感覚質であるとも思いました。