またもやぜんぜんタイムリーでない話で申し訳ないですが、ずっと頭の中にあったのに書き忘れていたことがありました。
GA JAPAN156に毎年お馴染み「総括と展望」というのがありました。その『セッション2平田晃久×藤本壮介』を興味深く読んだんですが(セッション1の二川由夫さん隈研吾さん内藤廣さんの対談よりも、平田晃久さんと藤本壮介さんの対談の方が近い感覚で読めました。多分、世代的に近いからでしょうね)、その中で平田晃久さんが石上純也さんの「水庭」を軽~くディスってるっぽいくだりがあり、「あらら」と思って見てしまいました。とまあ、書きたかったことはただそれだけなんですが、何か、植物の時間経過が意識されていないということを言っていたように思います。
でも、私としては石上純也さんの取り組みについてはそれほど悪い印象は抱いていないため、少々批判し過ぎのような気はしました。
石上純也さん設計の「水庭」には行ったことはないですが、それと一緒にするなと怒られそうですが、ある時ふと思い立って「遊水地」と名のつくところに急に行ってみたくなって訪れてみたことがあります。その場所に着き見渡してがっかりしました。何もありませんでした。
人間というのは、手つかずの生の自然がある場所を訪れても「何も無い」としか感じないようです。草や木々や水盤があろうとも、無造作に生い茂った草木を見るなり、人間は「何も無い」と認識します。
ところが石上純也さんの「水庭」が何らかの秩序を成しているなら、それが自然物を用いた再構成であっても、人は「美しい」と感じたり、木々や草に対して「何も無い」とは感じず「作品」として認識する可能性が高いのではないかと思います。今、手元に雑誌掲載の「水庭」の写真があるので見ると確かに美しいと感じます。設計プロセスも緻密で、良くここまで考えるんだな~と感心してしまいます。
石上純也さんの手掛けるものはかなり変わっているようにも見えますが、こういうタイプの建築家さんもこれから偉大になって行く一人なのだろうな~と思わせるものがあります。
それから、今、もう日本全国至る所で、スター建築家による設計で集客しようという意図が見え見えというか、そういう情勢になって来ているのではないでしょうかね。スター建築家による設計だから人が見に来る、繁盛する、という構図が出来上がっているのではないでしょうか。観光地には多いのではないかと思いますが、びっくりするほどあらゆる場所にスター建築家による建築があります。
それは、アートによる町おこしの成功という背景もあるでしょうし、アートで町おこしができるならスター建築家の建築で人を呼ぼうとなるでしょうね。建築になど誰も興味は無いと思っているのは意外にも建築業界の方々が多く、意外にも一般人でもスター建築家の名前を聞けば「行って見たい」と思う世の中になって来ているのではないでしょうか。
ただ、植物というのは本当に厄介なもので、ほぼ制御不能の物と考えた方がいいかもしれないと思う。だからこそ造園家とか庭師とか然るべき職業の方がいらっしゃるのだと思いますけれども。そういう仕事の方がいないと美は維持されないでしょうね。
植物はもうどうしようもなく、勝手に育つし雑草もわんさか生えてくる。建築家の方々の間で良く語られる「建築が木々に埋もれる」という理想的なストーリーは、実際には雑草も生えてくるのを容認しなければならないし、相当なカオスの誘引だと思う。かといって建築と自然が共存しないわけにもいかない。植物というのは実はかなり困った代物だと思う。
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