Qu'en pensez-vous?

空間について考えます

ル・コルビュジエのピロティから連想するもの

隈研吾さんの「場所原論Ⅱ」の序論まで読んで思ったこと - Qu'en pensez-vous?

1つ前の記事からの話の続きを別カテゴリーの記事として書き始めたいと思います。

確かに「場所」は重要なことには違いないですが(「場所に力がある」とするアリストテレス的考え方)、それほどまでにル・コルビュジエは酷評されなければならない建築家なのだろうか?というふうには少し思いました。ピロティは大地との切断である、と書いてあります。確かにそう言われてみればそうなりますね。

今回、「場所原論Ⅱ」序論では更に違った側面からのル・コルビュジエ批判がなされていました。本のタイトル通りに、場所性に関する問題だと思うのですが、ピロティは大地との切断である、と書いてあります。確かにそう言われてみればそうなりますね。

隈研吾さんの「場所原論Ⅱ」の序論まで読んで思ったこと - Qu'en pensez-vous?

 

「負ける建築」その他から、隈研吾さんのル・コルビュジエ嫌いについては十分知っていますが、それにしてもここまでこだわるんですか!?と思うほど、「場所原論Ⅱ」序論でもル・コルビュジエ批判が行われていました。

隈研吾さんの「場所原論Ⅱ」の序論まで読んで思ったこと - Qu'en pensez-vous?

しかし少なくともル・コルビュジエは人々がより歓びに満ちた生活を送るための環境の提案に尽くしたという一般論で片付けてしまいたくなるのが我々建築に無関係の一般人の思考ではありますね。

ここで突然、奇妙な話に移りますが、ル・コルビュジエのピロティというと、全く関係のない可笑しな物を思い浮かべてしまうのですが、恥ずかしながらそのことを今回書きたいと思います。
ずっと昔のことです。私が小学生の頃漫画を読んでいたら、こんなものが出てきました。宇宙船が細い脚のようなものを4本伸ばして地上に着陸するシーンがありました。宇宙船の船の底は決して地上に接触することなく、4本の脚が船を支えているため、宇宙船内部にいるエイリアンは、地球滞在中、宇宙船内部を家のようにしてそのまま船の中で生活しています。ヒューマノイド型エイリアンのため、宇宙船内部は人類の住宅のように描写されていました。そして外出の際は、地面に伸びた4本脚と同じ高さの階段が地上に降りて来るのでそれを昇降します。
この4本脚で着陸している住宅のような内部空間を持つ宇宙船と、ル・コルビュジエのピロティを持つ建築とが、私には重なって認識されています。常に頭の中で結びついています。

後に、あの漫画の宇宙船のモデルとなったのは、バックミンスター・フラーダイマクション・ハウスだったのではないかと気が付きました。ただダイマクション・ハウスは4本脚では支えられていませんが、直接地面には接しておらず居住空間がわずかに浮かんでいるようですし、外観が宇宙船のようであるところは似ています。
年代から言っても、ル・コルビュジエバックミンスター・フラーの生存期間は重なっています。同時代には似たようなことを考える人が出て来やすいため、そういったものが発想されるような何らかの時代背景があったのではないかと思えてきます。

更に考えられるのは、ル・コルビュジエはスイス生まれですがフランスで活動したということで、やはりフランスと言えば海洋への親しみ、延いては船への親しみがあったのではないかと想像できます。ル・コルビュジエは人生の終わりを海で迎えたのですから、海好きだったのは間違いないのではないでしょうか。その海にはボートなどのちょっとした船が浮かんでいたはずです。
ル・コルビュジエの建築は、そうした船のイメージなのではないかと私には思えます。

1つ前のブログで出て来たラ・トゥーレット修道院も、船のように見えます。ユニテ・ダビタシオン、サボワ邸など、ピロティが顕著な建築は、船舶か着陸した宇宙船のように見えます。

建築に対するアプローチが違うだけなのではないでしょうか。
場所性(「場所に力がある」とする考え方)や地理学的アプローチとか、そういう考え方ではなくて、宇宙船のように、あるいは航行中の船が寄港した時に陸地に係留するためのロープや錨を下ろす代替としての意味でのピロティなのではないでしょうか。ル・コルビュジエの建築が船のメタファーとしての建築であると仮定した場合、ピロティは、船の係留のためのシンボルであり、陸地へ建築を固定するためのシンボルと成り得るのではないでしょうか。それとも、造船工程を見るなど、そういう経験がもしあったとしたなら、それがピロティ発想のきっかけになるかもしれません。それについては全く不明ですしそんな経験は無いかもしれません。しかし巨大な船舶などは、船底ではなく上の部分だけ見ればほぼ高層建築と見分けがつかない程で、それほどまでに船と建築とは似通った部分を持っていると言うことはできそうに思います。(調べたところ、ル・コルビュジエアジール・フロッタンという難民収容船を設計した経験があるとのことです。)

必ずしもすべての建築が場所性や地理学的アプローチに拠って計画されなければならない強制力はどこにもないわけだから、様々なアプローチの仕方があってもきっと良いのだろう、という風には思います。そもそもル・コルビュジエの時代にはそのような場所の重要性という考え方が無かったのかもしれませんし。
後世の人達が何を選んで行くかが重要な事であって、既存の作品の意味やメッセージは保存されるべきものだと思う。

地理学的アプローチという方法はとらずに、どちらかと言うと、航海する船というよりかは空中を飛行する宇宙船から、気ままに地上のあるポイントを目指して着陸し停泊する。ル・コルビュジエの建築からはそのような視点を私は感じているところです。

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