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空間について考えます

林望さんの「思想する住宅」を読みました

「思想する住宅」 林望 著 東洋経済新報社

作家で国文学者の林望さんが、ご自身の家作りや建築に対する考えについて書かれているエッセイで、東洋経済オンラインの連載を一冊にまとめたものとなっています。

林望さんと言えば、確か、能についての本など書かれている方で能楽についてのレクチャーなどもされているのではなかったかと思います。
能を見る前に、予習をしておこうと思う場合、能はだいたい「源氏物語」「平家物語」「伊勢物語」が出典となるのでそれら古典を読んでおく必要があるという時に、私は林望さんの現代語訳を選んで読んでいます。林望さんの「謹訳源氏物語」や「謹訳平家物語」のシリーズは文章がわかりやすいだけでなく、本自体がパタッと水平に開く造りなのでストレスフリーで大変扱いやすくなっています。この「思想する住宅」を読みますと、林さんは相当様々なものの機能面その他考えていらっしゃることがわかり、本そのものの使い勝手に配慮がある理由もわかる気がしました。

本の冒頭の方は都市計画的な話から始まるので、そういう本なのかと思って読み進めると、どんどんと個人的な話に突き進んで行きます。林さんご自身の家作りの際のこだわりのような話に入っていきます。

私が最も興味深く思い、共感した箇所は、「応接間」について。現代の若い方たちは「応接間」という部屋の存在を知らないかもしれません。昭和の家には応接セットのソファ、ローテーブル、サイドボードが鎮座する洋間が一間玄関近くにありました。しかし、一体何のためにこんな部屋があるんだろうといつも不思議に思っていました。ハッキリ言って使いません。無用の長物です。確かに「応接間」には応接セットの他にピアノが置いてあり、ピアノを練習する場所でもありました。でも応接間に招待するほどの大そうなお客は滅多に現れません。「応接間」が役に立つとしたらピアノ教室を自宅開業しているようなお宅だけではないでしょうか。
その後、画一的間取りのマンションが普及し「応接間」なるものが消え失せたこと、その点だけは良かったのではないかと私は思います。

もう一つ、物を捨てることについての3つの分け方について書かれている辺りは、まさにその通りと思いました。いつも思うことは、物を買い集めた時の何倍ものエネルギーをかき集めて、物を捨てることにエネルギーを費やさなくてはいけないと思っているのですが、本格的な片付けの時は、本当に心身共に消耗します。

それ以外のことについては、同意できない部分も多くありました。
人それぞれいろんな好みがあるということで、林望さんはガラス張りの建築が大嫌い、と書かれていますが、私は必ずしもそうは思いません。ガラス張りの現代建築に慣れ切ってしまっているためそれ以外の物が想像できないくらいにガラスはありきたりのマテリアルであり、透明で美しいとすら思っている節が私以外にも多くの人の間にあると思います。ただ、ガラスが危険であるというのは真実だと思います。

さらに、南向きで陽当たりが良いのは良くない、というのが林さんのご意見です。冬は何とかして過ごせるが暑いのだけはたまらない、というのは昔から言われていることであると古典を引かれています。他にもいろいろ好みがおありのようです。

読み進めていくと、ん?林望さんの好みって、ヤバンギャルド?と思っていたら、その通り、建築史家の藤森照信さんと対談したお話などが出てきます。
書籍中に、林さんのガレージや、書架の本の背表紙など、プライベートな写真が何枚か掲載されていますが、それを見ると、林望さんはかなり建築に詳しいことがわかると思います。
「建築文化」のダニエル・リベスキンドの号が写っています。林さんのガレージはまるでヤバンギャルドな様相を呈していて藤森照信さんの建築作品のようです。このガレージの写真を見て私は、驚きのあまりしばし言葉を失いました。文章中にも、現代の建築家が絵空事のような住宅を作るのはけしからん、と書いている辺りは、おそらく西沢立衛さんの○○邸のことを指して言っているのではないかという察しがつきました。
他にもあるかもしれませんが、このような感じで、林さんは大変建築についてお詳しいです。
その他、自宅敷地内に井戸を掘って、散水や災害用水源を確保しているお話や、電気自動車と災害時の電源確保のお話などそうしたインフラ面のお話もあります。

全て読んでみて、共感できるところ、できないところ、いろいろあると思います。
しかし基本的には、独身なのに住宅を建てるということはあまり行わないことのではないかと思うので、やはり生活を共にする人たちの存在というのが住宅の背景にはあるのではないかと思います。それも「良い生活がしたいから家を建てる」というよりかは、どちらかというと必死の思いで、「何とか皆で住む場所を確保しないといけない」という切迫した理由から住宅を建設する場合もあるのではないかと思います。その場合、間取りや空間に対する夢は二の次、よほど意思を強く持たない限り、凡庸な設計に終わってしまう場合もあるのではないかと思います。住宅建設において「こうしたい」という意思の力は強く要求されるものではないかと思いました。

最後に、また建築資材としてのガラスについて個人的に思ったことですが、どこかの高校生の女の子の突出した研究があるらしく、発電可能なガラスというのをネットでですが見たことがあったと記憶しています。ブックマークも付けなかったのでそれっきりその情報は見失ってしまいましたが、もし実用可能であれば、エネルギー問題その他解決する可能性もあるかもしれません。そのようなわけで、いろいろな研究が進んでいるようですので突然の技術革新は起こり得ることで、それに伴い建築デザインその他、更に変化していくかもしれないと、心構えをしておいた方が良いのではないかとは思いました。

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