少し前の記事で「下降する」建築について書きました。↓
「下向する」というのは、だいぶ昔の原広司さんのお話で何度か出てきていたと思いますが、今回本をひっくり返してみてみると、「下降」という字は間違いで、「下向」と表記するのが原広司さんの空間理論では正しいということがわかりました。
過去記事で「下降する」と書きましたが、体験的に「下がる」動きが、降りるという字にした方が行動の仕方を良く表しているように思うため、とりあえず過去記事で「下降する」と書いたのは変更したり上書きしたりせずにそのまま残します。
本当は、今回は原広司さんが仰る「ヘラクレスの柱」について書きたいと思っていたのですが、時間が限られているのと、急に探すと「ヘラクレスの柱」についての言及箇所が突然見当たらなくなるという状態にはまりまして、急に何が何だか混乱状態になってしまいましたので、それはまた今度に致します。
その代わり、ヘラクレスの柱について書いていそうな物を漁っていたところ、「下向する」建築についてのテキストが出てきたりして、実は「下向する」という概念がかなり重要で、原広司さんにおいては比較的良く登場する概念なのだということがわかりましたので、本記事に於いて取り挙げてみたいと思います。
この間の「下降する」建築についての記事を書いている最中にも薄々思ったのですが、「下向する」建築は、完全に均質空間とは異質な方向性を持つ空間ではないかということでした。「下向する」建築が世界を救うかもしれないと思えるほどで、世の中の既存の構造を覆す力を持つ形式なのではないかと思うほどのインパクトがあります。
今、手元にある中で、原広司さんの書籍中で「下向する」建築について言及があるのは次の通り。↓
「GA ARCHITECT 13 Hiroshi Hara」 60頁「反射と反転」の小論
「住居に都市を埋蔵する」 168頁「下向」の章
「集落の教え 100」 234頁 k〈アドリア海の小都市〉
↑上記のものを読むと、下向する空間の例として、原広司さんは2種類挙げられているのではないかと思います。
一つは、反射性住居で実現されているシンメトリーな空間。
もう一つは、すり鉢状の広場空間や円形劇場的空間。
反射性住居のシリーズは、中心の軸部分に下向する仕掛けを持たせ、その下向軸に対して左右対称に空間が配置されるという構成で、軸から上方方面を見上げたところには孔が開いているということになります。そしてその孔は閾であるということにもなっているようです。
もう一つの、すり鉢状広場や円形劇場は、形状は円か円に近い形で、360度どの位置からのアプローチでも傾斜が集まる一点としての谷底へと向かうものではないかと思います。
そこで、この下向する経路自体が、閾(しきい)としての意味を持っているというところが重要な所ではないかと思います。
下向するというある種儀式的な行動を伴うことによって、それまで移動する人が所在していた平凡な世界が持っていた空間的意味世界から別の空間地平へと移動します。その過程としての中間的空間領域が閾(しきい)です。
下向するという閾を経て谷底に人は向かいます。
それからです。谷底から上を見上げます。そうすると頭上には孔が開いています(反射性住居のシリーズをイメージして下さい)。そして孔までの空間、3次元的な孔、3次元的な空間がありますが、これ全体が閾です。谷底に達すると3次元的な閾が出現するという構造になっています。
もう少しわかりやすく説明すると次のようになります。(私のオリジナル解釈・説明)
神社を訪れるとまず鳥居があります。鳥居は第一番目のわかりやすい閾です。ここでは鳥居の、二本の柱を上部でつなぐ横のバーを消去してしまい、ただ神社の入り口に2本の柱が左右対称に直立していると仮定します。この2本の柱の間を通過し長い長い参道を通ります。この参道は明らかに第二番目の閾です。俗世から隔たった聖なる場所へ至るための仕掛けであり中間領域としての閾です。参道を歩いているうちにだんだん社殿が見えてきました。ようやく神様に参拝できるところまで来ました。ここで、空間全体を転がします。神様がいる神社を転がして横倒しにし、神社の上に参道が天へ向かって伸びている様子を想像します。参道の先にあったものは何だったかというと2本の柱でした。横倒しになった神社から上を眺める人にとって、天に向かって伸びる参道の上には2本の柱が見えています。2本の柱はまるでボタンホールのように見えていて、さながら門のようです。
この状態を2本の柱の方から見て、真下へと視線を向けて谷底にある神社を眺める視点に立つとどうなるでしょうか。
つまり、2本の柱という門、参道という空間、それらは3次元的な孔で閾だということになります。
↑こういった意味内容を持つ非常にわかりにくい文章が、「GA ARCHITECT 13 Hiroshi Hara」 60頁「反射と反転」の小論の一部に記されてあり、同じく60頁に、上空側から見た門、3次元的な閾、と思われる図のバリエーションが数パターン掲載されています。
やはりこの「下向」の問題と、「ヘラクレスの柱」の問題は関連性のある話ではないかと思われますが、なぜこんなふうに不思議な空間ができてしまうのか不明点も多いので今日のところはここまでにしておきたいと思います。「ヘラクレスの柱」については改めて考えてみます。
そのようなわけで、下向するということは、どういうわけか3次元的な閾を誘発する行動であり、行動自体が閾を作ってしまうようです。とすると、すり鉢状や円形劇場のような「谷」としての空間は、それ自体が変わった形態をとる閾であり、有孔体としての建築の可能性がある、ということになるのかもしれません。
過去記事でも書いたように、「下向する」というのは非常に変わった空間行動です。一度上ったから下がらなくてはならないという場合の「下向する」でなく、これから建築内部に入るという時に、そのまま平行移動で入るのでなく、一度下がらせられる、一度下がらなければエントランスに辿り着かない、建築内部に到達しえない、というのは非常に奇妙です。均質空間ではあり得ない、考えられない空間行動への誘いです。脱均質空間というテーゼがあるとしたら、この奇妙な行動を突き詰めれば、新しい建築が生まれるきっかけになるかもしれないと思わせる力を持っています。
追記
ヘラクレスの柱については、「空間〈機能から様相へ〉」の境界論の最初の方に記述がありました。しかし、さらっと書いてある程度です。
前川國男 東京都美術館 これも「下降する」建築 - Qu'en pensez-vous?
可能態、現実態、の取り扱いについて その1 - Qu'en pensez-vous?