Qu'en pensez-vous?

空間について考えます

「かくれた次元」エドワード・ホール

「かくれた次元」エドワード・ホール著 みすず書房

みすず書房、哲学系の書籍が専門の出版社から出ている本。当ブログ、空間に関する哲学的な話を取り扱えればと思っていますが、なかなか真面目になれません。少々心を入れ替えて、空間に関する記述があるこちらの本を探して参りました。
アメリカの文化人類学者エドワード・ホールによる、生物や人間の空間知覚や行動に関する考察をまとめた本となっています。しかし、かなり期待外れでした。まったく収穫が無かったというほどではありませんが、少々内容的に薄っぺらいというか、哲学的な重厚さを持って論じられていない点に不満が残ります。

生物学的な観点からの身体周辺の話から、人間を取り巻くその延長にある建築空間と都市の話へと進んで行きます。最終的には、タイトルの「かくれた次元」とは一体何かと言えば、一口に人間と言っても、民族によって捉えている空間認識はそれぞれ異なるのだから、その差異に着目しなければならず、その差異こそがかくれた次元であるらしいということが、パーッと急いでページをめくっていた限りではそう読めました(文中で差異という言葉は使われていません)。

日本人の空間世界、美的な空間や、「間」の概念についても書かれてあります。アメリカ人から見た日本人の空間把握像というのは興味深くもあります。日本の空間においては、ある一室の中央にその核心があるとのこと。例えば「こたつ」のように。さらに、日本の伝統的な木造建築、旅館についての記述。「ふすま」という可動式扉について、外部空間とつなげることもでき、ふすまを閉めることを重ねれば部屋が「縮み」、飲食や歓談をした部屋が寝室に変わるなど、驚きを持って書かれているように見えます。(しかし、考えてみると、現代の日本人、特に若い世代で、この事実を実体験として知っている子供たちがどれだけいるのだろうと疑問に思います。多くの人たちがマンション暮らしをしています。マンションの空間ほど、人間の空間感覚、空間的直観力を鈍らせるものはありません。空間感覚・直観だけでなく、自然と人工空間との境界付近で感じられる四季の移ろいや生の自然を受容する身体感覚を養うことさえ困難です。)

行動面に関して、日本における「交差点」の重要性についても書かれています。西欧では通りの名称と番地さえわかれば目的地に辿り着けるようになっているのに対し、日本では決まった道を通るという習慣が無く、目的地に向かって気まぐれに進む傾向があり、しばしば交差点が目印であり、番地にヒエラルキー的な意味合いも含まれているようであるとの示唆もあります。

少し前に、槇文彦さんの「建築から都市を都市から建築を考える」という本を記事にしましたが、そちらの本の中にも、日本人の交差点志向に似た話が出てきていました。

『建築から都市を、都市から建築を考える』槇文彦 著 聞き手 松隈洋 岩波書店 - Qu'en pensez-vous?

「日本の都市から学ぶことー西洋から見た日本の都市デザイン」という本からの引用で、西洋は「線」志向であって、通りと番地さえわかれば目的地にたどり着けるのに対し、日本は「面」志向なので町に番地が振られるというお話のあたりが、今回の本に出てきた話とそっくりだと思いました。西洋人からは、日本はそのように見られているのですね。

他に重要そうな箇所は、半固定相空間のところで、離社会的空間と、集社会的空間という話が出てきます。人々を分離させる傾向を持つ空間と、カフェなど人々が近づきやすい空間というものがあり、集社会的空間を作り出すための空間内での設備の位置関係についての実験の話があります。しかし、結論としてはやはりある文化において成立することが他の文化において同じ結果をもたらすとは限らない、とありますし、必ずしも離社会的空間が悪いものとは限らず、集社会空間が万能であるとも限らない、ともあります。・・・ややこしい話ですね、ケースバイケースということでしょうか。

記号論に絡みそうな箇所としては、ホピ族の言語は空間を記述する表現に乏しいというあたりでしょうか。それに対し、英語は豊富な空間にまつわる言葉を有している、という辺りでしょうか。

拾い読みという感じでしたが、あまりびっくりするような空間の話はありませんでした。あまり面白くありませんでした。