Qu'en pensez-vous?

空間について考えます

世界はどこに向かおうとしているのか

少々困っています。
どうすべきか困っています。
当ブログの役割として(!?)引き続き原広司さんスペシャルで、素直に原広司さんの「集落の教え100」や「DISCRETE CITY」などを取り上げるべきなのでしょうけれど、現在の世界情勢から考えて、どうも内容的にそぐわないというか、取り上げても「無力感を感じるだけだ」と思うほどの状況に陥っているところで、非常に困っているところです。

集落を調べることというのは、空間的配列を抽出するという空間概念構築だけではなく、世界中の名も無き人たちの手による建築に光を当てるという意味合いもあったのではないかと思うのですが、そこにはイスラム圏の建築も含まれており、諸氏の研究でその空間的意義も見出されています。

現在ヨーロッパはイスラムに浸食され、その豊穣な文化が汚され始めているどころか、当のイスラムの文化すら消滅しつつあるのではないでしょうか。
研究室の方々が調査を行ってきた世界が、崩壊を始めていると捉えるべきなのではないでしょうか。
そうした意味では、20世紀の世界集落の記録として諸氏の業績は大きな価値を持ってくるのでしょうけれど、今それを当ブログで取り上げたとしても、残念ながら何の力も持たない。それくらいの無力感です。

そもそも、トマ・ピケティですら、「なぜフランスで育った若者たちがテロを企てるのか理由がわからない。」と語るくらいですから、トマ・ピケティにすら現在の状況が呑み込めないということは、もはや誰にも理由はわからない、と言っていいんじゃないでしょうか。
要するに、世界中の人たちがクエスチョンマークを頭に抱いているのではないでしょうか。失業や、社会への不満か。あるいは、当たり前のように享受している「自由」というものが許せないなど。
まったくテロの根拠は不明、何が何だか理由もわからず戦争状態に入ってく。それを傍観しているしかない。

ホームグロウン以外では、「野蛮人説」も出ています。
旅人や異邦人をもてなすときは、「猫を被っている」のであって、彼らは本来の姿は見せていない可能性もあります。本当は日常的にどんな蛮行を行っているか、という話をあるサイトで読みましたが(真偽は不明です)、読むに堪えないものでした。もしもその蛮行の数々が真実ならば、「文明と野蛮との衝突」というこの頃良く言われる構図しか残されていないということになります。
一体世界中で何が起こっているのでしょうか。そして世界はどこに向かおうとしているのでしょうか。
このような状況の中で、平和だった頃の価値観を持ち出しても、時代の気分に合わず不釣り合いであるという感じがしてきます。

そして、世界的に右傾化している中、インターナショナリズムとか、グローバリズムとか、そうした言葉さえ死語となりつつある様相さえ呈しています。行き過ぎたグローバリゼーションの結果として右傾化が現象してきているのかもしれません。
まさに、グローバリゼーションよりも、世界中が「離散的な」関係性で結ばれるようになれば、世界はもっと平和になるのかもしれません。