Qu'en pensez-vous?

空間について考えます

「見えがくれする都市」を読みました

SD選書
「見えがくれする都市」
槇文彦 他 著
鹿島出版会

タイトルだけは知っていて以前から読んでみたいと思っていました。しかしどこを探せばいいのかわからなくて困っていましたが、SD選書だったんですね。

なぜこの本のことが頭にあったかというと、昔、「『奥の思想』というのが有名である」という話を、まったく建築に無関係な人の話の中で聞いたことがあったためです。とある新プラトン派の先生がいて、その人は私の先生とかではまったくないんですが、たまたま何かの場面で、「建築家の槇文彦という人が『奥の思想』ということを言っていて、・・・」などという小話を聞く機会がありました。それで、『奥』という言葉が頭の中に繰り返し念じて出て来るくらい気になりはしましたが、その先生がかなり詳しく『奥の思想』について解説しているのを聞いてしまったので、それでいいやくらいに思って、実物の本は読まずに長年過ごして来ました。そして、ようやく今頃になって「奥の思想」を含む「見えがくれする都市」を読むに至りました。

目次は以下のようになっていました。

「見えがくれする都市」

序 この本ができるまで     槇文彦
Ⅰ 都市をみる      槇文彦
Ⅱ 道の構図       高谷時彦
Ⅲ 微地形と場所性    若月幸敏
Ⅳ まちの表層      大野秀敏
Ⅴ 奥の思想       槇文彦

このように、共著となっていました。このことも知りませんでした。

最初読み始めた時、出先だったので何も挟むものが無い状態で、辛うじてあった鉛筆で重要な部分に線を引っ張ったりして読んでました。最終的にはいつものように付箋をつけながら読みましたが、読んでから若干時間が経過してしまったので、今回良いレポートが書けるかどうか少々自信がありません。

面白かったことだけは確かです。

都市論であって、江戸という都市が西欧の都市と構造的に異なっていることの検証が全体を貫くテーマとなっていると思います。

Ⅰの章で、鉛筆で線を引いたところは以下の通り。
39頁
『常にその外壁がこうしたパブリックな外部空間の内壁を形成していることである。』
40頁
『従って、地と図という関係における建物のファサードは、・・・略・・・外部空間の連続する内壁の一部を構成してきた。』
41頁
『米国の都市の視覚構造の中で、・・・略・・・顕著に見られよう。』
『たとえいかに・・・略・・・活性化した都市の美しさではない』
46頁
『西欧の都市の外部のパブリック・スペースは、・・・略・・・対になって存在することが多かったことに気がつく。』
47頁
『そうした建築が施設として・・・略・・・かかわりあうものが多かった。』

次のⅡ~Ⅴ章までも、数十枚も付箋を貼り付けて結構慎重に読みましたが、全部ひっくるめて大雑把に自分自身の言葉で感想を書いてしまうと、次のようになります。

少々、建築や都市論などとはかけ離れた的外れな話になるかもしれません。江戸の都市空間などには、西欧に見られるような広場のようなものは見当たらないけれども、それは封建制度の社会体制においては都合の良いことではなかったのかということを少し思いました。多くの人達が集団で集まるようなだだっ広い広場のような空間を設けるのは、封建社会の統治者にとってはリスクがあり都合が悪いことだったのではないでしょうか。
さらに、Ⅱの章、道について語られるところで思ったことは、ひょっとして、日本人にとって、「道」そのものが広場の機能を果たすものではなかったのか、ということを思いました。道が広場だとしたら?狭い道、広い道、江戸と地方を結ぶ主要な道路など様々な街路があっただろうと思いますが、江戸時代には参勤交代が行われていたということも考え合わせると、日本において、道路自体が、広場であった可能性もあるのではないか、ということを私は思いました。
この本の中にそのようなことは一言も書いてはありませんが、私自身の感想としては、そのように考えました。合っているか合っていないかは不明です。
道路を「行進すること」「長い行列を作って歩くこと」というのが、何か、一種のショー的なものであって、見世物というと悪いニュアンスが入って来てしまいますが、大人数で練り歩くための道、というのが、何か日本的な広場の代替空間ような気がしています。それは別に大名行列に限ったことでなく、庶民でも、道を練り歩くという行動を通して、道を広場化していたのではないか。あるいは、庶民が日常的に往来する活気ある通りそのものが広場同様の意味を持つ空間だったのではないか、そんな気が私はしていますが、この考え方は間違えているでしょうか?

広場は、必ずしも、西欧的な大きな見渡せるような空間である必要はないのではないか。道のように細長くたって、それが実際に持つ意味内容として、人々が行進することによって共同体としての全体性を示唆できる場所であるならば、そこを広場と呼んでも良いのではないか、そのように考えました。

返って広場のような大きな空間があると停滞を引き起こすのではないか、とも思いました。停滞は良くないことで、絶えず人波が流れ動いている状態が良いことである、という日本人の感性的なものもあるのではないのだろうか、とも思いました。
西欧の場合は、大きな広場空間は教会などとセットで作られているとのことですので、空間的には、教会が持つ高い塔が、暗に「天への道」という流れを作り出していると見ることもできるかもしれないと思います。広場という大きな停滞空間に対し、塔が垂直方向への逃げ道としての空間性を確保しているとも取れるのではないでしょうか。広場で停滞させずにその流れが塔を通じて天へと拡散するイメージ。日本における塔は垂直性を持たないとⅤで述べられているので、こうした空間体系の中で停滞しないためには、日本の道路は常に人の流れを保証するものでなければならず、決して停滞することのない通路や抜け道を張り巡らし、それらはまるで現代のファッションショーにおけるランウェイのように機能するものである、そういうことなのではないかなと少し思いました。

町家や長屋の二階部分から、そうした多くの人々が闊歩する路地の様子も見えるのではないかと思いますし、町民が道の様子を見る、何が起こっているのか外を見て確認するという生活だったのではないかと想像したりもしました。(本の中では、どちらかというと逆の視点から論じられていたと思います。道の方から見た住宅の表層という視点。)

この本の中で最も衝撃的だったのは、Ⅳ章175頁に出てくる「ミニ武家住宅」というもの。ミニ武家住宅!!!
確かに、その通りで、あ然とするくらい言い当てていると思いました。現代の住宅街の風景に漂う悲しさの源は、武家屋敷のミニ化が原因だったのか、とわかりました。びっくり。

面白かったです。古い本なのかな~と思っていましたが、感覚的にはまったく古くなく、普通に面白く読めました。

『建築から都市を、都市から建築を考える』槇文彦 著 聞き手 松隈洋 岩波書店 - Qu'en pensez-vous?

「かくれた次元」エドワード・ホール - Qu'en pensez-vous?

松隈洋さんの「残すべき建築」 - Qu'en pensez-vous?

槇文彦さん設計、テレビ朝日社屋 - Qu'en pensez-vous?

朱鷺メッセ その2 - Qu'en pensez-vous?

槇文彦さんの、古代出雲歴史博物館 その2 - Qu'en pensez-vous?