Qu'en pensez-vous?

空間について考えます

モードチェンジと様相(モード、モダリティ)

突然思いついたんですけど、建築家の原広司さんの著書「WALLPAPERS」の最後の方にある札幌ドームに関する所で『モードチェンジ』ってあるじゃないですか。札幌ドームはホヴァリングステージが動いてサッカーフィールドを陽の当たる所に出しておけたりとか、野球モードにできたりとか、そういう意味での『モードチェンジ』がありますよね。
その他に、こちらの方が全体を貫いている重要な理論ですけど、『様相』というのがありますよね。様相は、モードとかモダリティとか言われていますが、これが一応『モード』と表記されるものですよね。
となりますと、『モード』というものと『モードチェンジ』というものがあることになるのかなと思います。

札幌ドームの例から言うと、『モードチェンジ』は強制的に、というか、人為的に操作されて起こる場面転換であるのに対して、『モード』の方は、「WALLPAPERS」に出て来る空の移り変わりの様子のように、観測者である人間が何かを眺めていたら様相が刻々と変化していくのが確認できた、といった受動的な立場で説明されるものではないかと思われます。

とすると、一口にモードと言っても、2種類あるということになりましょうか。人為的に変化を起こして現象してくるモードと、人間とは無関係に自然現象として移り行き変化する様、という2つのモードが出現してきます。

ここで更にまったく違う概念を引っ張り出してきますと、『場面を待つ』という言葉もあったと思います。それは「集落の教え100」の20番に書いてありますが、その他の著書「空間<機能から様相へ>」などの中でも書いてあったと思います。
この「場面を待つ」ような設計、というのが、常々私にはロマンチックな表現に感じられるのですが、日常的な場面というよりも、非日常的な場面というのでも不十分で、むしろ突発的な事態というか極端な出来事、稀な出来事、それは災害などのことではなく、どちらかというと慶事の類の事柄が想像され、ハレのイベント、祭り、儀式的宗教的だったり、虚構や空想らしきことだけれども集団的共感性の高い出来事、が想定されるかと思います。
他にも、気候の問題で、冬のことを考えるのか夏のことを考えるのかなど、何を究極的な場面とするのか、といった両極の振れ幅に関する事象もあります。
1つの出来事には両極に向かった振れ幅がある。出来事にはかなり大きな振れ幅があってそれぞれの方向にそれぞれの究極の現れ方がある。よって、その究極の現れ方をする場面に予め照準を合わせた舞台設定をしておくこと、「あらかじめしつらえておく」こと、それが『場面を待つ』ということなのではないかと、私には読めました。

そうなりますと、それもまた『モード』であるとするならば、それは、人為的な方のモードになるのでしょう。

それでは、自然から観測される絶え間なく変化し続ける様相とは一体何なのか、と考えてみます。
「様相と経路」という原広司さんのかなり昔の小論を建築雑誌からコピーしてきたものがありますのでそれを見てみますと、
『実在する自然の事象は、その都度<~しようとしている>状態にある。と同時に、私もまた<~しようとしている>状態にある。』とあり、この小論の全体で同様のことが繰り返し述べられており、<~しようとしている>は、「~は可能である」状態に置き換え可能であるとも述べられています。どうやらこの世界のすべてが流動中のようで、絶え間なく移り変わり、現象は常に変化の過程であり続けているらしきことが、『可能世界』として示唆されています。

以下は私の想像に過ぎませんが、この世界の全ての現象には、強弱があり濃淡があるのではないかということで、自然の様相は均質では無いのではないかということが言えるのではないかと考えました。これは科学的には不正解で、全く正しくありませんが、この種の話に関してはそういう物理学的な観点から論じているのではなく、もしも自然が我々に露呈する「情緒的な」様相が均質だったとしたら、先程の『場面を待つ』という言葉は成立し得ないのではないでしょうか。それに、この濃淡、強弱、両極という考え方無しには、例の『非ず非ず』には辿り着くことができません。つまりは様相の観測者の問題であって、古くは『精神』、最近の概念では『知覚』に相当するものも問題となって来るはずです。

・・・!!!
もう少しマシなことが書けるかと思って書き始めたのに、最後には「情緒」に依拠しなければならない事態となり、これでは論として失敗です。
もう1回考えて出直します。失礼しました。

『モード』と『モードチェンジ』とがあるということ、『モード』には、アリストテレスの生成消滅論にも似た何らかのエネルギーに関係した何物かがありそうだと薄っすらと想像できる、というところまでしか考えることができません。
ただ、『モード』が常に変化している途中のものであるのに、『モードチェンジ』と言うなら、「ただでさえ変化し続けているものがそれ以上に変わる」という奇妙な話になっているような気もしないでもありません。考え過ぎでしょうかね。

しかし先程、「情緒的な」様相と書いてしまいましたが、科学的には不正解でも、建築分野や芸術分野における空間に対する記述方法が未だ確立されていないためにこのようなあやふやな事態に陥っている、ということで、そのために建築家の原広司さんは「空間の文法」と仰り続けているのだけれどそれは未だ完成を見ていない、という状況があるようです。

困ってしまうほど不思議なものだと思うので、「様相」が一体何なのか、記述可能になると良いのにと思います。

追記

以下の過去記事中に、「モードチェンジ」についての言及がありました。↓

新建築2017年10月号より - Qu'en pensez-vous?

こちらの説明の方が良いみたいです。 

横浜美術館という一つの建築のど真ん中に大きな余白のような大ホワイエ空間(グランドギャラリー)が備えられていて、多目的に使用できる中間的空間としていつでも機能できるというのは、大変面白い現象であると思いましたし、こうした現象を様相空間的にモードチェンジと呼ぶのだろうなと思いました。

新建築2017年10月号より - Qu'en pensez-vous?

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