Qu'en pensez-vous?

空間について考えます

「丹下健三 戦後日本の構想者」豊川斎赫 著、を読みました

丹下健三 戦後日本の構想者」
豊川斎赫 著  岩波新書
 
まずこちらの著者の豊川斎赫さんですが、後ろの方の頁の著者紹介の所を見ると、建築家、建築史家と記載があり、生年が、私と同年代ということにまずは驚きました。
私の世代となると、もうほとんど丹下健三のことはわからない世代で、まして私のような一般人となるとせいぜい東京都庁新庁舎によって強烈なインパクトを受けたという程度で、丹下健三さんが本当に大活躍していた時代はまだ生まれていないのでわかりませんということにどうしてもなります。
そうしたまだ自分が生まれていない時代のことをどのように書くのだろうと思いながら読みましたが、建築史家であるということで非常に客観的な記述で主に都市計画的側面に絞って書いてあり、特に違和感なく非常に興味深く読めました。現代的な視点からも書かれており、今現在起こってる諸問題の原因を丹下健三に帰着させている感、というのが、果たして著者の方が意図したことなのかどうかはわかりませんが、少なくとも私は比較的、負の側面と言いますか、「丹下の負の遺産」的なものも読んでいて感じました。恐らく著者の豊川さんは、丹下健三さんが好きでファンであって褒め称えたいという気持ちはあるのではないかと思いますが、やはり文脈から若干、丹下さんが作った日本はこれだ的な紹介に納得する一方で、そうでない日本もあったのかもしれない、という気にさせるのものはあると思いました。そういう意味では、建築史家として偏り無い公平な立場で書かれていると言え、あらゆる側面をオープンに読者に伝えていると思いました。
 
私としては、第1章、第2章くらいまではふむふむと比較的平静を保ちつつ読んでいましたが、第3章くらいから徐々にただならぬ気持ちが読みながら沸き起こって来ました。それは薄々、読み始めた時から感じでいたものが確信に変わったのが第3章に入ってからということになると思います。
何というか、丹下健三さんの「開発に対して一片のためらいも無い」態度を感じ、非常に恐ろしく感じました。激し過ぎる開発への意欲、それは暴力的にすら見え、帝国主義的であるとまで私は思いました。丹下健三さんの活躍した時代はメタボリズムが提唱されていた時期とも重なることからそれに関連して比喩的に表現すれば、建築が勝手にどこまでも増殖して都市を形成するようなそうした生物的な脅威です。それはまるで、新スタートレックTNG)に出てくるボーグが「(お前たちを)我々に同化する。抵抗は無意味だ。抵抗は無意味だ。」と言いながら遭遇した生命体にチューブを刺して、どんどんボーグに同化していく様に良く似ていると思いました。
さらに、第1章に書いてあったと思いますが、通勤地獄も良しとする態度、つまり混雑していることが都市である、と暗に認める態度が現在の東京という都市の姿を生んでいるのだということがわかった瞬間の恐ろしさと言ったら何と言っていいのかわかりません。そして、日本の国土計画について、とにかく、経済発展、生産性第一、経済成長、成長すること、とにかく生産性を上げること、利益優先、もうそれだけしか眼中になく、そのために猪突猛進する日本の姿というか、それを牽引してきた丹下健三さんの姿というのが浮き彫りにされているのではないかと思います。
それを良き事、と捉えることもできるかとも思いますが、確かに経済発展と最先端の科学技術によって日本は先進国と成り得たのだけれど、しかし、現在の状況を考えると、過労死やサービス残業ブラック企業など、利益追求型の社会による重大な弊害が生じていることは決して軽視できない問題です。利益や生産性だけを追求することは、悲しい結末に至るということを、我々は学ばなければいけないのではないかと思います。
26頁に、「今日の国土交通省が主導するコンパクトシティに近い発想をした都市計画家・石川栄耀さんの生活圏構想」というお話が書いてあるのですが、その時代にあっても、きちんと今日の現代人が好みそうな考え方が既にあったことがわかります。選ばれなかった選択肢、こちらの方を選んでいたら、違う未来、今とは違う日本の姿があったのではないかと思います。
 
幸いなことに、丹下健三さん以降の世代の建築家たちというのは、丹下健三さんのようには開発に対して激しい姿勢は示していないように私は見えています。そう見える、ソフトに見せかけているだけなのかもしれませんが、それほど暴力的には映りません。
例えば最近原広司さんのお話で良く目にするのは、「とっておく」という言い方で、この「とっておく」という表現については、新国立競技場問題の時にも、「あの敷地を防災拠点としてとっておきべきだ」というお話が朝日新聞誌上に掲載されていたのも読んだことがあります。
原広司さんに限らず、現代の建築家たちというのは、ある程度そうした「とっておく」ということができる人たちではないかと私は思っています。つまり、ありとあらゆる開発を行えば良いというものではなく、地理学的・地形的にとっておかなければならない土地あるいは大切な何物かというものがあって、不可侵な場所というものがあり得るということを、現代の建築家は認識しているのではないかと思います。「親自然的」と言ってみたり、ポストモダンの建築家たちというのは(丹下シューレの方々も含めて)、環境に対してある一定のリスペクトを持ち合わせていると思います。環境・自然に配慮し、地理学的・地形的ポテンシャルを大切に取り扱うことが、最良の建築につながるという考えがあるかと思います。
 
男性の方々は、きっと丹下健三さんをヒーロー扱いしたがるのかもしれませんが、女性の立場からすると・・・と言いますか私個人の見解になりますが、丹下健三さんは震撼に値する建築家であると思いました。正直ある種の恐ろしさがあると思います。激しいです、とにかく激しい。
しかし、ある程度勉強にはなると思いましたので、今後また豊川斎赫さんによって書かれた他の丹下健三さんに関する著書も読んでみようかと思っています。別の側面も見えてくるかもしれません。