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空間について考えます

くうねるところにすむところ27「浅草のうち」乾久美子、を見てみました

くうねるところにすむところ27 家を伝える本シリーズ 平凡社
浅草のうち 乾久美子 著
 
旧ブログ運営時にも、この「くうねるところにすむところ」シリーズのうちのどれかを記事にしたことがあります。現在活躍中の建築家による、平易な文章で綴られた絵本スタイルの建築本となっています。
当ブログでは隈研吾さん設計の浅草文化観光センターを連載している最中ですが、こちらの本は、浅草文化観光センターの設計競技で惜しくも2位となった乾久美子さんの設計競技案コンセプトについて書かれたものです。
浅草寺仲見世の配置や空間性を、観光案内所ビルの中に再現し、両者を対位法的に描写し語ることで、双方の空間性をオーバーラップさせつつ読者に伝える構成となっています。
この本の中のハイライトは20頁から21頁にかけてのところではないかと思います。
無断転載だと怒られると困りますが、少々書き抜きますと、
「いろいろな隙間を人が自由に行き来していること、
普段のものと観光地らしきものがまじっていること、
囲われている場所でも快適なこと」
と、小さい女の子と大人に語らせているのですが、普通の、建築に特に興味が無い人たちがこんなセリフを言うだろうか!?という大きな疑問が湧いてきますが、まあ無視します。ここでこういうセリフを入れないことには建築の話にならないからこう言わせているんだろうとは思いましたが・・・。
でも、普通の人は、こんなこと考えないし絶対言わないと思います。
当ブログ管理人のような素人なのに建築に興味があって建築雑誌もたまに見ているような変人は、平気でそういうことを言い出すかもしれませんが、全くの一般人はこんな空間性に関わる描写はしないんじゃないかと思います、きっと。その点、ちょっと視点が玄人過ぎると言うか、専門家的過ぎると言うか、一般人でもわかる空間性というのも大事なのではないかと思いました。
その点、隈研吾さんの浅草文化観光センターですと、観光案内窓口という最も重要な要素の他に、休憩所、トイレ、といった必要性緊急性の高い誰もが要望する要素を大々的に配置し、屋上展望台というアトラクターによって最上階まで動線を引っ張り上げることによって人の流れ(フロー)を生み出し、ビル全体が広場空間として機能しすべての人に向けて開かれているという点で、建築に特に興味のない一般人にとっても理解しやすい空間性を提供していると捉えることもできます。
誰もが、展望台の、風の心地良さに快適さを感じ、庇からの木漏れ日風の日差しの下、一息つくことができます。困った時、わからない時に、インフォメーションに駆け込むこともできるし、外国人観光客も自分のスマホでなくても据え付けのインターネットで調べものをすることができます。そういうシンプルな、万人が理解できて体験可能なこと、というのが重要な事なのかもしれません。
人は無目的に動くことを嫌い、目的地を目指して空間を横切る性質を持ち合わせているように思います。その点やはり、均質空間内部にも求心的要素というのが必要不可欠ということになるかもしれません。
しかし乾久美子さんの案は別に悪いわけではなくて、これも良いと言えば良いと思いました。
特に色彩的には、浅草寺仲見世商店街にちりばめられた色彩を象徴的に表現しているとも言え、大変美しいと思いました。デザイン的には、乾久美子さんの案というよりも、一見SANAAの案ではないかと見紛うようだと思いました。
コアのばらまき方が多少複雑かもしれないとも思いました。でもそんなこと、東京藝大の先生に向かって言う言葉ではありませんね、大変失礼致しました。でも、複雑なものよりシンプルでわかりやすいものの方を一般人は好むのではないかなあというのは正直な感想としてあります。
これを見ると、今現在、隈研吾さんの建築が建っているわけだけれども、選ばれなかった別の選択肢がこうして存在していて、こういう未来もあったのかもしれない、と不思議な気持ちになります。
乾久美子さんの建築をイメージしてみて周囲の環境と重ね合わせると、やはりこれでも悪くはないのではないか、と思えてきます。外観デザインは乾久美子さんの建築の方が優れているように見える。内部のプランは隈研吾さんの方が優れているように思える。つまり、乾久美子さんと隈研吾さんのプランを足して2で割るとベストな建築になる(!?)のではないか、と思ったりもしました。