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オバマ大統領の広島訪問から「正義」を考える

朝日新聞の「オバマ大統領 単独書面インタビュー」を見て思ったことがあるので本日はそれについて書きたいと思います。
朝日新聞は無断転載NGだと思いますが、一部だけ、部分的に文面を取り上げさせていただきたいと思います。

「・・・・・(中略)・・・・・戦争は、・・・・・(中略)・・・・とりわけ罪なき市民に対して途方もない苦しみと喪失をもらたすものということだ。」

このオバマ米大統領の書面返答と、安保法制の問題は関係あるのかどうか、関係付けて考えても良いものかはさておき、私の居住地域圏においても、しばしば「安保法制反対」の小規模デモやミニ街頭演説などが行われています。
その街頭演説で決まって耳にするのは「私たちの子供や孫を戦争には行かせない!」という訴えです。

今回、オバマ米大統領のこの広島原爆投下に対する上記の文章を読んで、突如、その街頭演説の訴えと「とりわけ罪なき市民が・・・」の部分が私の頭の中で重なり合ったのです。

デモや街頭演説で訴えている方々というのは、一言たりとも「戦争になったら自分が死ぬことになるから、絶対戦争反対だ」とは言いません。どういうわけか、不思議なことに、「自分は戦争で死にたくない」と一言も言わないのです。必ず、「子供や孫が軍隊に入らされて戦争に行くことになったら大変だから、安保法案には反対する」と言っている確率が高いように思います。
でも、思うのですが、仮に、本当に、子供や孫が戦争に行くような事態になった場合、おそらく現代の戦争というのはハイテク化していて、前線に行った人たちほど死なない可能性もある。
むしろ、このオバマ米大統領の文面にあるように、実際に死ぬのは、「とりわけ罪なき市民」、つまり、街頭演説やデモをしている日本国土に残っている人たちの方が、戦争になったら真っ先に死ぬ可能性が高い、私はそう思います。国土が攻撃対象になるからです。

戦争になって真っ先に何が起こるとかと言ったら、まずは国土への空爆だと思います。戦争に行かず、国土に残っている人ほど、死ぬ可能性は高まるのではないでしょうか。
なぜなら、軍の方としても、殉職者をできるだけ減らす方向でやっているとしか思えず、空爆が最も軍関係者の死者が少なくて済む方法なのではないかと思うのです。
「アメリカン・スナイパー」というイラク戦争を題材にした映画でも、最終的には空爆でした。地上戦は泥仕合になり、死人がたくさん出ます。しかし空爆なら軍関係者サイドとしては安全に戦えます。
現在、中東で空爆が継続中で、多くの難民が出ているのも、攻撃側が安全に戦うには、つまり泥仕合をせずに殉職者を増やさないためには空爆という選択肢が適切だから、ということも言えるのではないでしょうか。

つまり、今回のこのオバマ米大統領の書面は、一見脅しとも取れる内容をも含んでいるように思います。「戦争になったら国土がやられる、一般市民が巻き添えになる。」おそらく、この事実を、たぶんデモをしている人、街頭演説をしている人たちは、ハッキリ認識していないのではないかと思います。戦争というのは、「子や孫が戦争に行くことになったら困る」という次元の問題では無いのだということを、認識しなければならないのではないかと思うのです。マイクを握って熱弁を振るってるそこのあなたこそが一番最初に爆弾の巻き添えになって死ぬ可能性があるということです。「子や孫を戦争に行かせない」という主張が、私には、なぜか「子や孫が戦争に行ってくれるから、自分たちは戦争で死なずに済む」と言っているかのように、逆に聞こえてしまうのです。
おそらく、第二次世界大戦、太平洋戦争の時もそうだったんじゃないかと思います。赤紙が来て、自分の子や孫が戦争に行ってくれるからこそ、自分たちの世間体が保てたり、村八分にならずに済んだりした。自分たちの社会的尊厳と生命の維持の代償を、子供や孫たちに肩代わりさせてきた実績がすでに日本人にはあるのではないかと思います。また日本人は同じことを繰り返そうとしているのではないでしょうか。子供や孫を生贄にしても、どうせ国土はやられて一般市民が犠牲になるのです。そのことを今回オバマさんはハッキリと教えてくれたのではないでしょうか。

オバマさんの功績というのはおそらく、医療制度改革でも核なき世界の訴えでもなく、やはりビン・ラディン殺害が最も大きな功績だったのではないでしょうか。9.11の仇討ちをキッチリしたこと、これが最大の功績ではないでしょうか。しかもこれをスマートな作戦で成し遂げたことも。一般市民の犠牲を伴っていません。
ここではないかと思うのです。一般市民の犠牲者を最大限出さず軍関係者の殉職者も最大限出さずに、作戦を行う。それがアメリカにはできるのです。
しかし、日本が軍隊を持ったところでそれが出来ますか、というところだと思います。私はできないと思います。
アルジェリア人質事件をはじめとして、日本が踏みにじられる悔しい事件が多々起こり、遺族や被害者の無念を考えるとやはり仇討ちは心情的には必要だと私は考えますが、日本にはその能力が残念ながら無い、日本の無能さは認めなければならないと思います。結局は外交努力ということになるんでしょうね。仇討ちをした方が良い、という考え方そのものが悪い、というご批判を多分皆さんお持ちになるのではないかと思います。それはわざわざ言われなくてもわかりますよ。「戦争絶対反対」の立場の友達にも良く怒られます。私の考え方が攻撃的すぎると言って。元々、喧嘩っ早く怒りっぽい性格ですので。でもいろいろなテロ事件の遺族は無念に思っていて心底悔しいと思いながら怒りを持ち続けて生きてる。このことを忘れてはならないと思います。戦争がどうとかよりも、世の中の正義について、正義が一体何であるか、本当に正義が行われているのかどうかを問い続けなければならないと思います。