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空間について考えます

「偶有性操縦法」 磯崎新

「偶有性操縦法 何が新国立競技場問題を迷走させたのか」 磯崎新 著 青土社

建築家磯崎新さんの本。新国立競技場問題についても取り扱われています。

私が磯崎新さんの書籍でかつて読んだことがあるのは「磯崎新の建築談義」のシリーズ全12巻。五十嵐太郎さんとの対談形式になっていたと思いますが、旧ブログ運営中に全巻図書館で借りて読んだことがあります。それ以来ということになります。

磯崎新の建築談義」は結構良かったですよ。是非多くの方に手に取って読んでみてほしいですね。建築写真を篠山紀信さんが撮っていました。篠山紀信さんというと撮影対象は人物のイメージが強いですが建築も撮るんですね。
「ル・トロネ修道院」と「ショーの製塩工場」の巻が良かったと思います。
建築談義シリーズを読んで以来、磯崎新さんというと、「ル・トロネ修道院」ばかりが思い浮かぶのです。
思うに、やはり建築家というのは、空間体験を自分のものとすることが非常に大事で、自分にとっての決定的体験となる空間を常に探求しているし、参照もする、ということなのだろうと思います。

磯崎新さんの本を読むと、自ずと五十嵐太郎さんの本も読むことになるんですが、一体どの本に書いてあったのか忘れましたが、チベットあたりで野良犬に噛まれて狂犬病を発症するんじゃないかとか不安に襲われた数か月の話、あれ恐かった。思い出しただけでもぞっとする。
あとは、五十嵐太郎さんの新書版の本だったのではないかと思いますが、「悲しくなる風景」(郊外型商業施設建築が延々とどこまでも繰り返される郊外の風景)みたいな話が書いてある本が結構良かったですが、本のタイトルを忘れてしまいました。すみません!

「偶有性操縦法 何が新国立競技場問題を迷走させたのか」の目次は、以下の通り。

まえがき 都市モデルと戦争モデル
Ⅰ 理不尽なアーキテクチュア
 1 うつふね ARK NOVA
 2 フクシマで、あなたは何も見ていない。
 3 近代国家のエンブレム
 4 瓦礫と隊列
 図版 成都の巨大建築とザハ・ハディド
Ⅱ 偶有性操縦法
 1 「ハイパー談合システム」
 2 「日の丸」排外主義
 3 奇奇怪怪建築
 4 「魔女狩り」
 5 「空地」が生まれた
 図版 祝祭都市構想ープラットフォーム2020
あとがき 磯崎新私譜

読みながら印象的に思い付箋をつけたところだけピックアップしていきます。

ちょうど今、オバマさんが広島訪問して核軍縮が話題に上っていたところでしたが、34~37頁で広島の核爆弾投下について、「平和という言葉にすり替わっている、被爆記念日と呼べ」という岡本太郎の論について述べられています。このあたりにはハッとさせられます。
50頁、「浜口隆一は西欧の建築を・・・・」のところ。うんうん、これは、原広司さんも言いそうな話。
64頁、「・・・その近代都市の空間的特性と異なる種類の<都市空間>が出現した。その空間では人も物も流動することだけが宿命づけられる・・・中略・・・ロジスティックスが立地した場所である。」このあたり、そうですね~、という感じ。
126頁、「デザイン・アンド・ビルド」のあたり。
134頁、「日本らしさ」のところ。
157頁の最後からのところ、「(T_ADS)は80歳を超えた老人建築家、槇文彦×磯崎新×原広司を招いて『これからの建築理論』と題されたトークを開催した。(司会、隈研吾)」うんうん、これネットで記事を見た。

うんうん、でも、全体的に読んでみて、やはり最後のところですよね。
「80歳を超えた老人建築家、槇文彦×磯崎新×原広司」のところ。
ものすごく磯崎新さん、熱心に書いている。本当に情熱がある。新国立競技場問題について、ものすごく情熱を持って語っているし建築の未来についても熱く考えている。その情熱は槇文彦さんも同じ。原広司さんが理論理論で建築大好きなのは誰もが知るところ。
これだけの大御所アーキテクツがご健在の間は良いけれども、もしこれら大建築家の先生方がいなくなったら、一体日本の建築界は一体どうなってしまうの!?と、不安を感じたのは私だけではないはずです。大変な事ですよ。このお三方の先生方にはどうしても長生きしていただくとしても、これだけ情熱を持って建築について語れる次世代の建築家が果たしてどれだけいるのか、と考えると、一体どうなんでしょう。本当に大丈夫なのでしょうか?これからの日本の建築界、本当に大丈夫なのでしょうか。

最後、209頁、新国立競技場建設のためにできた更地について、「空き地」にしておくのが良いという結論になっているようで、「『空地』こそが次世代への最高の贈物なのである」と締めくくられます。原広司さんなども、防災拠点として空き地とすべきだと朝日新聞の記事で、昨年語っておられましたね。

確かに、防災拠点として空き地に、というのは納得。すごいですねえ、さすがです。
でも、もう決まったことですからどうしても建つんですよね。

良いこともあると思いますよ。私が思うに、確実に良いことが二つは起こると思う。
一つは、新国立競技場は次世代への建築教育のモニュメントになり得るのではないか、ということ。
二つ目に、観光資源として価値を持つはず。

隈研吾さんの新国立競技場が完成したら、そこを訪れて建築家になろうと決意する若者が絶対出てくるはず、と思います。
少子化の中でも、建築家を志す若者が次々と出現するような契機が必要です。その点日本は日常的に恵まれていると思います。至る所に有名建築家による建築がごろごろありますし、高品質でデザイン的にも先進的な建築が林立しているのですから。しかしオリンピックスタジアムとなると別格です。必ず感化される子供たちが出て来ると思います。

観光資源というのは、KENGO KUMAの巨大建築が東京都心にある、というだけで、外国人観光客のさらなる増加に貢献する可能性もあるのではないでしょうか。
例えばフランスは、ルーブルランスの設計にSANAAを選びましたけど、日本人観光客を狙った可能性が高いのではないかと思えました。パリの有名レストランの総料理長が日本人であるなどと大々的に宣伝していたりするのも、日本人に来てほしいからだろうな、と勘ぐったりするのですが、やはりそういう経済効果を狙うところは多分にあるのではないかと思います。人が来なきゃ仕方無い、人に利用してもらわなければ本当に困る、という部分はあるだろうと思います。

というわけで、磯崎新さんの「偶有性操縦法」では、日本の過去と現在と未来と、建築に対して真に熱意を持つ建築家について考えさせられました。そうですよね、人って死ぬんですよ、だってザハさん死んじゃったんですからね。若い世代の建築家にどんどん頑張ってもらわないと。

『建築から都市を、都市から建築を考える』槇文彦 著 聞き手 松隈洋 岩波書店 - Qu'en pensez-vous?

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