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空間について考えます

原広司 HIROSHI HARA: WALLPAPERS

「 HIROSHI HARA: WALLPAPERS

空間概念と様相をめぐる<写経>の壁紙  原広司 著 現代企画室 」

を読んでの感想。

    空間についての構想を続ける建築家、原広司さんによる「原広司:WALLPAPERS」という展覧会の図録です。原広司さんのファンであるにも関わらずこのような展覧会が開催されていたことすら知りませんでした。今頃になってようやく気が付いて購入して読みました。いえ、むしろ遅れはしたものの、気が付いただけでもラッキーな方だったかもしれません。

 最初パラ~っと最後までめくって、最初に読み始めたのは、補論1マイクロデュレイションと、補論2情景図式と記号場について、の数式入りの論文の所からでした。
 「ディスクリートシティ」の書籍中に、時々刻々と変化する様相を表す数式が出てきましたが、その続編だろうと思い、非常に期待しながら読みました。ディスクリートシティに出てきた数式は、空間の厚みというか、幾重にも重なり合ってボリュームが増した量塊が感じられ、ビジュアル的にもイメージがつきやすく、大変心に響く数式でした。例えば定点カメラで、朝から晩まで人の流れを早送りで見せられているような感覚がディスクリートシティの数式にはありました。
 今回、マイクロデュレイションも、情景図式と記号場も、ここ何年かの間、建築雑誌GA JAPAN上で、原広司さんがお話しされていたことが、論文化され、数式も追加されているという感じです。マイクロデュレイションの方は、確か、近傍の概念のお話に際して、近傍とは、と言った時に、4分33秒の楽曲が聞くのにちょうど良く、この、人間にとってちょうど良い時間的長さも近傍の一つの例ではないか、みたいな話をGA JAPAN誌上でされていたように思います。情景図式と記号場の方に出てくる、群衆が吸い込まれたり流れ出して行ったり、というお話も、確かGA JAPANの確かハノイの駅舎のプロジェクトの所に書いてあったのを読んだように記憶しています(記憶間違いだったらすみません)。いずれにしても、補論1、2共に、過去の論文のどれよりも難しい印象です。今、1回さっと読んだだけですが、あと4、5回繰り返し読まないと、ダイレクトに頭に入ってこない感じがします。繰り返し読みます。

 むしろ感動したのは、その二つの補論より前にある、この図録のメインテーマであり展覧会の内容そのものである写経WALLPAPERSは、非常に胸に迫るものがありました。
 一見しただけで、超高層がたくさん並んでいるように見え、ひょっとすると、これは梅田スカイビルに空の様相が映りこんでいる様子かな、などと思いながら、文章の方を読んでいると、仮想の超高層を紙で作って、100行に分割して100階建て・・・などという感じで、これは建築です。塗り絵などとも書かれてありますが、建築ですね、これは。写経も原広司さんの手にかかると、建築化して、さらに着彩されるのですね。着彩するための領域分割図として、写経を塗り分けするための下図は、これはまた空の様子をスケッチして用意しそれを写経にオーバーレイする形になっていて、写経×超高層(紙で代用)×下図(空、太陽光の様相)の3層のレイヤーを手仕事によって一挙にひとまとめにしたといった作品となっていて、その手作り感とともにとても迫力ある作品となっています。
 ひょっとしたらこの手法は、流行るかもしれませんね。誰でも真似をしようと思えばできるし、簡単に身近な素材でつくることができ(材料や費用について詳細な記述があります)、塗り絵の要素もあり、絵画の要素もあり、子供の自由研究のネタや美術の宿題の解決法になりうるかもしれません(ただその場合は、参考文献や出典として書籍名と原広司さんのお名前を記す必要がありますが)。十人十色の作品ができそうです。
  それはいいとして、この展覧会の内容部分、この写経の作品ページと文章を一気に読み終えた時に伝わってくるものが、すごいものがあります。これはぜひ、多くの方にこの本を見ていただいて実感して頂けたらと思いますが、私個人の感想としては、一言で言うなら「圧倒的な荘厳さを感じた」ということです。

 原広司さんがいつも引用されるのは、藤原定家の「夕暮れ」であり、それが「非ず非ず」的空間の展開につながっていくというものです。かつては、原広司さんの書籍を読んだ時の印象と言えば、「現代のアリストテレス」といったイメージを抱いたものでした。トポスなどとも言及していますし、全体的に言っていることがアリストテレスの生成消滅論のようであると感じていたからです。ライプニッツ的でもあると思いました。京都駅のエスカレーターから見える風景などは、モナドロジーの記述そっくりそのままです。しかし、ますます反西洋化傾向は増しており、非ず非ずなど、サンスクリット文字を使用する類の哲学、古代インド哲学か、インドの古い宗教的世界が「夕暮れ」のイメージと重なり、この写経WALLPAPERSでは、荘厳な宗教的気配が色濃く、見る者へと伝わってきます。
 
 ここで、確認しておきたい点が二つあります。「夕暮れ」と、「非ず非ず」についてです。(詳しくは、「空間<機能から様相へ>」を参照して下さい)
 おそらくあまり原さんの空間理論を知らない人や、まったくそんなことは考えたことも無い一般の方々は、「夕暮れ」に関して恐らく「夕暮れ」という言葉は使わず「夕焼け」という言葉を使いたくなるのではないかと思われますので、その違いについて述べてみたいと思います。
 なぜ「夕暮れ」かと言えば、一つには、「夕暮れ」に対する対概念として「夜明け」が想定されているからであると言えると思います。辺りが暗くなり、冷え冷えとし、温度が下がり、モノクロームの世界になっていく夕暮れに対して、白々と夜が明け辺りが見えてくる「夜明け」の様相が控えているはずです。そして、「褪色する、色あせる」「冷える」というのが、原広司さんの理論の非常に重要かつ特徴的部分ではないかと思われるのですが、「夕焼け」は空が赤く燃える一瞬であるのに対して、「夕暮れ」は完全に陽が落ちて辺りが暗くなるまでのかなり長い時間を含んでいると思います。空が赤々と燃え、だんだんと褪色し、モノクロームの世界になり、辺りが冷えて温度が下がる。ここまでのかなり長い時間を要する一連の様相の移り変わりが、「夕暮れ」の内容ではないかと思います。
 そして、これは情景的な場面に限ったことでなく、記憶の面でも、褪色した記憶(セピア色の記憶)に再び色をつければ夜明けの様相になると言った、そんな風にも応用できる種類の概念であったと記憶しています。
 「非ず非ず」については、今回改めて、謎に思うことが生じ、考えているところです。西洋においては動詞が強い意味を持つのに対し、非ず非ずはnotの重複という点で掟破りと言いますか、一体、非ず非ずを西洋の表現に変換するとしたら何に相当するのか、ということを考えています。少々思いついたことはあるのですが不完全ですのでここではまだ述べません。
 
 先ほどの話に戻りますが、考えてみると、われわれは、あまりにも日常的に、光も見なければ、空も見ない、情景というものをほとんど何も見ていないということに思い至ります。個人的には、夕暮れというのは、恐ろしいです。赤く燃えるような空は恐ろしい。何か、不穏なものを予感させる。
 このWALLPAPERSでは、超高層にたくさんの空の様相があらわれていますが、私たち一般人は日常的にこれほどまでに空や大気の状態を見ていないし観察もしていない。こんなに空ってすごいんだ、こんなに多彩な変化があるということにまずは驚かされる。そしてこんなにも空の様相が感傷的に訴えかけてくるものなのかということにも驚かされる。ぜんぜん、私たち現代人というのは、見ていないですね周囲を。一番身近な自然というものを。
 水色の空に白い雲が浮かんでいる梅田スカイビルのスケッチが表紙のGA ARCHITECT13の影響か、原広司さんというと、原さんの周りに青い空や白い雲が高速で前から後ろへと飛び去っていくような印象を抱いているのですが、まさにそのような方なのだと思いました。
 哲学的に述べると、プラトンの洞窟の比喩によりますと、人間というのは、本当の光は見ることができない。事実その通りで見たら失明してしまう。人間は、影しか見えることができない。背後に明かりがともっていて、そちら側が本当の世界なのだけれども、人間は、明かりよって壁に写った物どもの影しか見えない。古代ギリシャの哲学者プラトンによると、人間が見ているのは本当の世界ではなく、影に過ぎず、本当の世界は別にあるということになっています。
 そんな話もありますが、私たちの目に見えている世界が何であるかについてはまた別の話にせよ、光そのものは見ることはできないということは事実としてあり、間接的な形で我々は自然、光、というのものを見ているのですが、原広司さんはその媒体の一つである空の様相をよく見て、このWALLPAPERSを作られたのだ、ということがわかります。一番最初に書かれてありますが、1年間空を観察したと書かれてあります。
 さらに特筆すべきは、それら作品群は手仕事であるという点だろうと思います。今やもう何もかも、機械でやろうと思えばできてしまいます。手仕事、アーツアンドクラフツ手芸・民芸などと、文章中にも少々恥ずかしげな面持ちで書かれてあったりもしますが、ぜんぜんそんなことは無いのではないでしょうか。
 手仕事というのは念がこもるものです。手や体を動かして何か作るということは物づくりの基本であり、ある種の労働とも言えますが、それだけで強い説得力と迫力を持つのではないでしょうか。
 そして何といっても、この作品群の情報量の多さ、展覧会でこれはかなりすごいと思いました。私だったら、立ちっぱなしでは見続けられないかもしれません。良くある絵画の展覧会ではわりとスーッと通り過ぎていけますが、このWALLPAPERSはすぐには通り過ぎられない代物ではないでしょうか。内容が濃いです。このようにして図録で図版として見ないと、その意味をじっくり考える時間も含めて鑑賞しきれないのではないかと思いました。情報量が多いです。原広司さんのこれまでの思考の集大成くらいな、大そうなヴォリュームです。
是非、多くの方々にお勧めしたい書籍です。

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