Qu'en pensez-vous?

空間について考えます

槇文彦さん設計、テレビ朝日社屋

槇文彦さん設計のテレビ朝日社屋。

旧ブログ運営時にもテレビ朝日新社屋の建築写真を掲載していましたが、旧ブログを閉鎖した際に誤って写真数点を削除してしまい、失ってしまっていました。

今回再度撮影してみましたが当時と何も変わっていません。ずっと綺麗なままです。

かぐや姫が出てきそうな、竹筒のような形状を一部分に持つ、和の風情漂う建築。美しいです。

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もうオープンしてから長いので皆さんもご存じとは思いますが、テレ朝ショップや撮影コーナーが1Fにあるので我々一般人も買い物や記念撮影に入れます。

槇文彦さんの、古代出雲歴史博物館 その2 - Qu'en pensez-vous?

朱鷺メッセ その2 - Qu'en pensez-vous?

那賀川町馬頭広重美術館 隈研吾 その1 - Qu'en pensez-vous?

六本木ヒルズから見た国立新美術館

国立新美術館 設計 黒川紀章

メタボリズムの黒川さんの建築。六本木ヒルズ上階の方から見える姿はとても悲しい。

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適切な位置から撮影した写真はこちら、過去記事にあります。↓

国立新美術館 - Qu'en pensez-vous?

六本木ヒルズから見た建設中の新国立競技場 - Qu'en pensez-vous?

サントリー美術館 - Qu'en pensez-vous?

竹中工務店による、EXシアター六本木 EX THEATER ROPPONGI - Qu'en pensez-vous?

六本木ヒルズから見た建設中の新国立競技場

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六本木ヒルズから見えました。建設中の新国立競技場。

建設中の建物の手前の、青い座席でアーチのある赤茶色の壁面の野球場は、神宮球場のはずですので、位置的に神宮球場の向こう側が新国立競技場で合っていると思います。

 『小さな建築』 隈研吾 著 - Qu'en pensez-vous?

 隈研吾さんによる、サニーヒルズ・ジャパン - Qu'en pensez-vous?

隈研吾設計、アオーレ長岡のナカドマ(中土間) - Qu'en pensez-vous?

建築家のテレビ出演について - Qu'en pensez-vous?

竹中工務店による、EXシアター六本木 EX THEATER ROPPONGI - Qu'en pensez-vous?

『ねむの木こども美術館どんぐり』の建築写真はこちら

建築史家で建築家の藤森照信さんの作品、『ねむの木こども美術館どんぐり』。

本日のNHK夜9時からのニュースで、天皇皇后両陛下が宮城まり子さんとの関わりで『ねむの木こども美術館どんぐり』を訪問されたらしき話題が出ていました。
こちらの建築写真があったのに出してなかったので、このタイミングでブログに挙げるのがベストかと思いました。

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藤森照信さんの作品、最近のGAJAPANにも何作品か掲載があったのではないかと思います。確か、北欧での建築だったと記憶していますが(間違えていたらすみません)、びっくりするほど雰囲気がはまっていて感動的なくらいでした。絵本から出てきたようなかわいく素朴で自然的な建築で、日本におけるそれとはまるで違う良さを、GAJAPANの建築写真から感じました。ヨーロッパの方が、藤森照信さんの建築は映えるみたいです。
この日本の湿度や日本的なうっそうとした森林の様子が、作品と微妙に合っていないように私は感じてしまっています。海外作品の方が格段に素晴らしい感じです。ムーミンとかの妖精が出てきそうな雰囲気なんだけれどシンプルさもあってすごくかわいい。

坂茂さん設計「ねむの木こども美術館 緑の中」 - Qu'en pensez-vous?

「紙の建築 行動する」 坂茂 著 岩波書店 - Qu'en pensez-vous?

くうねるところにすむところ30 坂茂の家の作り方 を見てみました - Qu'en pensez-vous?

伊東豊雄さんの「21世紀の建築をめざして」を読んでみました - Qu'en pensez-vous?

トリエンナーレ開催中のキナーレ(設計 原広司) - Qu'en pensez-vous?

札幌ドーム - Qu'en pensez-vous?

自分がカメラアイだったなんて自覚が無かった!~『医師のつくった「頭のよさ」テスト』光文社新書より~

今週のお題「読書の秋」

自分コンパスというサイトで知ったのですが、人の認知特性には6種類あるとのことで、カメラタイプ、3Dタイプ、ファンタジータイプ、辞書タイプ、ラジオタイプ、サウンドタイプに分類されるのだそうです。

で、これには元本があって、小児発達医の本田真美さんの著書『医師のつくった「頭のよさ」テスト』光文社新書に、この6種類の認知特性、<視覚優位者>カメラアイタイプ、<視覚優位者>三次元映像タイプ、<言語優位者>言語映像タイプ、<言語優位者>言語抽象タイプ、<聴覚優位者>聴覚言語タイプ、<聴覚優位者>聴覚&音タイプ、の分類のためのテストが載ってます。

私は自分のタイプが知りたいと思ってこのテストをやってみたわけでなく(この年になってこれがわかってもどうにもならない)、どうも「自分の子供が自分とは頭の構造が違うようだ」と感じることが子供が大きくなるにつれて思うことが多くなり、私は学生の頃、英語以外も化学などでも単語カードを作ってめくると良く覚えられたのに、自分の子はそうでないので、単語カードをどんなに買って来ても無駄な試みに終わるので、絶対におかしい!と思ったのが、この認知特性のテストを本田真美さんの本を買ってタイプを調べてみようと思ったきっかけでした。

『医師のつくった「頭のよさ」テスト』
本田真美 著
光文社新書

本の帯に、Twitterブログで大評判5万部!とプリントされてます。売れてるみたいですね。

人によって、認知特性が違うので、子供の勉強方法も、その子に合った方法でやるべきなのだと思いました。(でないとまったく効率的でありません)
うちの子の場合は、事前にタイプは見当がついていましたが、テスト結果もその通りになりました。子供の方が日頃の様子から見分けがつきやすいように思いました。
逆に大人の場合は、様々な経験や、慣れなど諸要素が加わってきてしまっているため、普段の様子からは見分けがつきません。自分コンパスさんの最初の方にも、大人は本来の資質と関係なく慣れが出来上がってしまっているので、子供の頃のことを思い出して下さい、との注意書きがありました。

私自身は、自分では3Dタイプかラジオタイプなのではないかと思っていましたが、実際に本田真美さんのテストをやってみたら違いました。
その他、私以外にも大人の人がテストをしてみましたが、自分の予想や周囲の予想とは全く違った結果が出るので、ちょっとこれ、わりとびっくりします。でも、びっくりしても、思い返すと、そう言えばそうだ、と思い当たる事が次々出て来るので、確かに当たっていると思います。

私は、自分では、グーグルストリートビュー愛好家(?)なので三次元映像タイプか、とまず思い、でもフランス語とかもするから聴覚言語タイプかなと思っていました。
ところがカメラアイタイプでした。突出したカメラアイです。
で、逆に、グレーゾーン以下だったのが、聴覚言語でした。
他の項目は、全部標準のグレーゾーンに入っていてバランス良い感じでした。

本当に衝撃的です。聴覚言語が弱い認知特性だったなんて。もうブログのタイトルフランス語付けてるのもうやめにしようかと思ったくらい。せっかく一生懸命勉強したことなのに生まれつきの資質が無かったなんてショックです。

自分がカメラアイだったなんて、もっと早く知りたかったです。確かに、単語カードにすると何でも覚えられたのは、視覚が強かったからだったんだ、と今頃わかっても後の祭りという感じがしますが・・・。
それに、確かに昔、美術を、美術研究所に通ってやっていたので、モチーフをよく見てこちらの画面に見たままを描き写すということはいとも簡単にやっていたので、別にそれが自分の長けた能力だとは自覚が無かったというか、逆に何で面白くもないこんなことをやらなきゃいけないんだろうと思っていたんですが、そういうへそ曲がりなのはどうすればいいんでしょうか。
確かに人からは才能があるとか言われて画家になれとかなんとか言われて、嫌だなあとか思って、逃げたんですけど・・・。

ま~結局美術をやりなさいってことですかね~。

でも、良く聞くのは、カメラアイの人は悪い思い出も忘れられないってことは、よくネット上に話題が挙がってますよね。私は自分がよもやそれだとは思わずにいたんですけど、自分がカメラアイだとわかったとたん、釈然とすることがありました。

以下の記事とちょっと関係があるんですけど、食器洗い機を使わないで、普通に手洗いで食器を洗おうものなら、私はフラッシュバックが起こり放題で、精神的苦痛で死んでしまいます。
食洗機推進派っていう記事の中には書かなかったですけど、多分、私が食洗機推進派なのはそういう理由もあるんじゃないかと思います。

〈食洗機推進派〉食器洗い機が無ければ生きていけない - Qu'en pensez-vous?

食器洗いを手洗いでしようものなら、洗ってる最中って本当に無心になるので、過去のいろんな嫌な出来事とかが目の前にフラッシュバックで映像で次々と浮かんでくるんです。
カメラアイの人は、頭の中に写真を何千枚何万枚と保存できるそうですが、私自身の自覚では目の前に映像が流れてくる感じなのでそれで自分が3Dタイプなんじゃないかと思ったんですけど・・・。
心が無になるような単純作業中にフラッシュバックが起こりやすく、次々といろんな嫌の思い出の映像が目の前に浮かんで来るので本当に困ります。食器洗い機のおかげでフラッシュバックに遭う時間を減らすことができますが、鍋やフライパンなどは手洗いするのでその時間だけは我慢しないといけません。なので、音楽を流したりして聴覚に意識を向けるようにするとフラッシュバックを防ぐことができるんですよね。

つまり、強すぎる認知特性を打ち消すのに、他の分野の認知特性を使うこともできると思います。
何となく、自分にとっては、カメラアイの能力が自分の人生において自分を苦しめる方向にしか作用してこなかったように思える。

とまあそんなわけで、薄々気が付いてはいたものの、今まで自分の認知特性を全く生かすことのない仕事にばかり就いてきたことに反省しつつ、本当は自分がどうするのがベストなのか考え始めた次第です。

というか、このブログのリピーターの読者の方々もびっくりしたんじゃないですか?私がカメラアイだったなんて。音楽カテゴリの話が多いから、聴覚タイプと思われていたんじゃないかと思う。でもやっぱり、MTVを「見る」ってところが視覚優位者が露呈していたところでしょうか。

〈食洗機推進派〉食器洗い機が無ければ生きていけない - Qu'en pensez-vous?

本棚にしまえるスツール、ブックニチュア/BOOKNITUREの使い心地 - Qu'en pensez-vous?

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2018年の洋楽シーンを振り返る - Qu'en pensez-vous?

仏検2級対策 - Qu'en pensez-vous?

様相とは、可能性と関わりはあるが、スクリーン化はしなさそう

モードチェンジと様相(モード、モダリティ) - Qu'en pensez-vous?

先日↑これを書いたことで、反省して仕方なく(!?)ちょっと勉強してみました。まだ途中なので、適当な印象しか書けませんが現時点では以下の通りです。

建築家の原広司さんが仰る意味での「様相」に最も近いと思われるのは、イギリス経験論のジョン・ロックの様相ではないかと今の時点では感じています。(ベルクソンとの関連についてはまた後日)

その他の哲学者の様相については、そもそも論として、その「様相」と言っているものが、果たして、「時々刻々と移り変わる空の様相」などと言う時の「様相」と同一のものを想定して議論しているのではないように現時点では感じています。

自然現象における見えがかりの移り変わりのようなものを、西洋哲学的には果たして何と呼べば適切であるのか、事物的眼前存在と呼ぶべきなのか、従来の哲学の単語の中で適切なものは思い浮かびません。
恐らく、これについても原広司さんが「マイクロデュレイション」という言葉で説明されているものがこれに当たると思われます。とするとやはりロックの雰囲気がします。
しかし、どう考えても、移り変わる見えがかり、時々刻々と表情を変える情景、という感受性そのものが非常に日本的で、西洋の人たちはそうしたことことを哲学的美学的な重大事案とは捉えていない節を感じます。日本人は、桜が散れば感嘆し、やがて消えゆく花火に感傷するような人種なのではないでしょうか。日本人ははかなさに心を奪われる奇妙な感覚を備えているのではないかと思われます。

そのような消えゆくものに着目するのではなく、確固とした物への称賛が西洋的思考を貫いているものではないでしょうか。基本的に哲学の根本は古代ギリシャにあり、古代ギリシャにおいては「作られたもの」とか「制作物」という重しが根底にあり、様相というのも、被制作物という流れの先にあるものといった匂いが漂います。ハイデガーにおける「存在様態」と翻訳されているものの原典における単語が何であるかが不明なので何とも言いようがないのですが、もしも「様相」と「存在様態」とが同一のものを示しているのであるとしたなら、様相というのは、何らかの可能性や未来に関わる物あるいは言明についてのヴァリエーションには違いないのだろうけれども、それは、スクリーンに映し出されるようなものとしての見えがかりでは無いのではないのではないかという感想を現時点では持っています。哲学というのは、自然発生的なものに対する考察ではなく、全てが作られたものについての考察になっているのではないか、と考えられます。
なぜ古代ギリシャの次に軽々とハイデガーを持ってこれるかと言いますと、ハイデガーは元々はアリストテレスの研究者であるため、アリストテレスのことを知りたいならばハイデガーによる解説を読むと良くわかるという構造になっているためです。

カントのカテゴリー表の四にある様相を眺めて考えているところですが、この部分からはかなりポジティブなものを感じています。
四 様相 可能性―不可能性
     存在性―非存在性
     必然性―偶然性

この「存在性―非存在性」が問題らしく、現実性―非現実性が意味的には正しいのではないかという議論があるようですが、確かにそれだと、ハイデガーの繋辞に関する説明の所の話と辻褄が合うようのではないかと思いました。現実からしか真なるものは掘り起こされはしないということだから、この様相についても、やはりスクリーンに映し出されるような変容のことを言っているのではなくて、どう考えても、形が決まったもの、決定したもの、結論が出たもの、何か一つの物として可能性や未来についての言及を含んではいるが独立した形を取るものではないのだろうか、とイメージされます。

・・・と、これでは読んでいる人にとっては何のことかさっぱりわからないと思いますが、自分自身での覚書というか、メモというか感想です。

ロックについてはM先生に聞けばわかる。しかし約20年前に挨拶したっきり。M先生の著書を読むのが手っ取り早いかも。

本記事は、本当に適当なことばかり書き連ねてしまい、哲学的に間違っていることを書いているかもしれないため、もし決定的な誤りが見つかったら後日削除するかもしれません。

モードチェンジと様相(モード、モダリティ) - Qu'en pensez-vous?

「非ず非ず」を西洋の言い方に置換してみると? - Qu'en pensez-vous?

「YET」 HIROSHI HARA から原広司さんの建築理論の普遍性について考える - Qu'en pensez-vous?

HIROSHI HARA:WALLPAPERS の補論2「情景図式と記号場」後半部分を再読してみました - Qu'en pensez-vous?

モードチェンジと様相(モード、モダリティ)

突然思いついたんですけど、建築家の原広司さんの著書「WALLPAPERS」の最後の方にある札幌ドームに関する所で『モードチェンジ』ってあるじゃないですか。札幌ドームはホヴァリングステージであるサッカーフィールドを陽の当たる所に出しておけたりとか、野球モードにできたりとか、そういう意味での『モードチェンジ』がありますよね。
その他に、こちらの方が全体を貫いている重要な理論ですけど、『様相』というのがありますよね。様相は、モードとかモダリティとか言われていますが、これが一応『モード』と表記されるものですよね。
となりますと、『モード』というものと『モードチェンジ』というものがあることになるのかなと思います。

札幌ドームの例から言うと、『モードチェンジ』は強制的に、というか、人為的に操作されて起こる場面転換であるのに対して、『モード』の方は、「WALLPAPERS」に出て来る空の移り変わりの様子のように、観測者である人間が何かを眺めていたら様相が刻々と変化していくのが確認できた、といった受動的な立場で説明されるものではないかと思われます。

とすると、一口にモードと言っても、2種類あるということになりましょうか。人為的に変化を起こして現象してくるモードと、人間とは無関係に自然現象として移り行き変化する様、という2つのモードが出現してきます。

ここで更にまったく違う概念を引っ張り出してきますと、『場面を待つ』という言葉もあったと思います。それは「集落の教え100」の20番に書いてありますが、その他の著書「空間<機能から様相へ>」などの中でも書いてあったと思います。
この「場面を待つ」ような設計、というのが、常々私にはロマンチックな表現に感じられるのですが、日常的な場面というよりも、非日常的な場面というのでも不十分で、むしろ突発的な事態というか極端な出来事、稀な出来事、それは災害などのことではなく、どちらかというと慶事の類の事柄が想像され、ハレのイベント、祭り、儀式的宗教的だったり、虚構や空想らしきことだけれども集団的共感性の高い出来事、が想定されるかと思います。
他にも、気候の問題で、冬のことを考えるのか夏のことを考えるのかなど、何を究極的な場面とするのか、といった両極の振れ幅に関する事象もあります。
1つの出来事には両極に向かった振れ幅がある。出来事にはかなり大きな振れ幅があってそれぞれの方向にそれぞれの究極の現れ方がある。よって、その究極の現れ方をする場面に予め照準を合わせた舞台設定をしておくこと、「あらかじめしつらえておく」こと、それが『場面を待つ』ということなのではないかと、私には読めました。

そうなりますと、それもまた『モード』であるとするならば、それは、人為的な方のモードになるのでしょう。

それでは、自然から観測される絶え間なく変化し続ける様相とは一体何なのか、と考えてみます。
「様相と経路」という原広司さんのかなり昔の小論を建築雑誌からコピーしてきたものがありますのでそれを見てみますと、
『実在する自然の事象は、その都度<~しようとしている>状態にある。と同時に、私もまた<~しようとしている>状態にある。』とあり、この小論の全体で同様のことが繰り返し述べられており、<~しようとしている>は、「~は可能である」状態に置き換え可能であるとも述べられています。どうやらこの世界のすべてが流動中のようで、絶え間なく移り変わり、現象は常に変化の過程であり続けているらしきことが、『可能世界』として示唆されています。

以下は私の想像に過ぎませんが、この世界の全ての現象には、強弱があり濃淡があるのではないかということで、自然の様相は均質では無いのではないかということが言えるのではないかと考えました。これは科学的には不正解で、全く正しくありませんが、この種の話に関してはそういう物理学的な観点から論じているのではなく、もしも自然が我々に露呈する「情緒的な」様相が均質だったとしたら、先程の『場面を待つ』という言葉は成立し得ないのではないでしょうか。それに、この濃淡、強弱、両極という考え方無しには、例の『非ず非ず』には辿り着くことができません。つまりは様相の観測者の問題であって、古くは『精神』、最近の概念では『知覚』に相当するものも問題となって来るはずです。

・・・!!!
もう少しマシなことが書けるかと思って書き始めたのに、最後には「情緒」に依拠しなければならない事態となり、これでは論として失敗です。
もう1回考えて出直します。失礼しました。

『モード』と『モードチェンジ』とがあるということ、『モード』には、アリストテレスの生成消滅論にも似た何らかのエネルギーに関係した何物かがありそうだと薄っすらと想像できる、というところまでしか考えることができません。
ただ、『モード』が常に変化している途中のものであるのに、『モードチェンジ』と言うなら、「ただでさえ変化し続けているものがそれ以上に変わる」という奇妙な話になっているような気もしないでもありません。考え過ぎでしょうかね。

しかし先程、「情緒的な」様相と書いてしまいましたが、科学的には不正解でも、建築分野や芸術分野における空間に対する記述方法が未だ確立されていないためにこのようなあやふやな事態に陥っている、ということで、そのために建築家の原広司さんは「空間の文法」と仰り続けているのだけれどそれは未だ完成を見ていない、という状況があるようです。

困ってしまうほど不思議なものだと思うので、「様相」が一体何なのか、記述可能になると良いのにと思います。

追記

以下の過去記事中に、「モードチェンジ」についての言及がありました。↓

新建築2017年10月号より - Qu'en pensez-vous?

こちらの説明の方が良いみたいです。 

横浜美術館という一つの建築のど真ん中に大きな余白のような大ホワイエ空間(グランドギャラリー)が備えられていて、多目的に使用できる中間的空間としていつでも機能できるというのは、大変面白い現象であると思いましたし、こうした現象を様相空間的にモードチェンジと呼ぶのだろうなと思いました。

新建築2017年10月号より - Qu'en pensez-vous?

 可能態、現実態、の取り扱いについて その1 - Qu'en pensez-vous?

「非ず非ず」を西洋の言い方に置換してみると? - Qu'en pensez-vous?

方丈という不思議な空間モデルから、ホログラフィック宇宙論へ - Qu'en pensez-vous?

均質空間は「ルーフ」の概念を消去している - Qu'en pensez-vous?

「YET」 HIROSHI HARA から原広司さんの建築理論の普遍性について考える - Qu'en pensez-vous?

HIROSHI HARA:WALLPAPERS の補論2「情景図式と記号場」後半部分を再読してみました - Qu'en pensez-vous?

原広司 HIROSHI HARA: WALLPAPERS - Qu'en pensez-vous?

新建築6月号建築論壇より - Qu'en pensez-vous?

札幌ドーム - Qu'en pensez-vous? 

前川國男 東京都美術館 これも「下降する」建築 - Qu'en pensez-vous?