Qu'en pensez-vous?

空間について考えます

ひとまず良かった、英語民間試験導入見送り

大混乱になっていた問題ですが、当家がお世話になっている塾からも、英語民間試験導入見送りについて、各大学の方針が今後発表されますとの一斉メールが届きました。
10月くらいまでは、塾からは英検S-CBTの予約をして下さい、して下さい、と一斉メールが来ていたわけですが。

テレビ番組を見ていてわかったこととしては、下村元文科大臣の時代に英語を民間試験にしようということになった、というのをやっていたので、見て驚きました。

私の発想がおかしいのかもしれないですけど、私はこの英語民間試験導入のきっかけとして、もっと違うことが原因ではないかと思っていました。
ひょっとして「出川イングリッシュ」のせい!?とか思ってました。
日曜夜に「世界の果てまでイッテQ」という番組がありますけど、日曜の夜、翌日は月曜日、学校や仕事や色々嫌なことがまた始まるストレスフルな時間帯に憂さ晴らしが必要とされているのだと思いますが、芸人が虐待されているのを見て笑う類の内容で放送されていることが多いように思います。
最近「出川イングリッシュ」の放送はめっきり無いようですけど、3年以上前くらいでしょうか、「出川イングリッシュ」は物凄くちびっ子たちの間で話題になっており大人気だったと記憶しています。芸人の出川哲朗さんが、つたない英語でミッションをクリアするコーナーですが、抜群に面白いし、このコーナーによって、出川哲朗さんの好感度は上昇しましたし、いかに出川哲朗さんが善人かということもわかりました。そしてコミュニケーション能力とは必ずしも語学力だけではない、ということも理解できました。
ただ同時に、ひょっとして、これを英語教育関係者の方々が視聴されていたとしたら憤慨しているかもしれない、ということはチラッと頭によぎったりもしました。
番組を面白くするための演技なのかもしれないけれど、破格の聞き取りの悪さ、出川さんみたいな人もいるのだから、できない人も皆安心していいよ、という意味もあるのかもしれないけれど、教育関係の人達は見たら怒るかもしれないとは思いました。恥をさらしている、と。
出川哲朗さんだと長引くものも、みやぞんが同じコーナーを担当するとサクサクっと快速で終了しちゃうとか、個人の能力にもよるようですが、みやぞんは何やっても本当に器用でハイスペック過ぎて驚異です。

みやぞんの話をしているのではなくて、だんだん何の話をしているのかわからなくなってきましたが、とにかく、今回の混乱が元文科大臣の時代に決められたことだったのだと報道番組で知ってびっくりしているところです。

それにですね、これまで、英検ってすごく語学愛好者にはロマンも感じられる良い試験だったと思うのだけれど、英検S-CBTとなって対人でなく機械に向かって会話する内容を含む試験になってしまうと、語学の楽しみを削ぐ以外の何物でもない検定になってしまうと思うんですよ。そういう意味でも、共通テストでの英語民間試験導入見送りは良いことに違いないと思いますよ。それに高3で受けるなんて、そんな忙しい時にスケジュールが合うわけないですよ。それ聞いた時、受けてる暇が無いとまず思った。

センター試験に取って代わる共通テストも、迷惑だからやめてほしいと思う。センター試験のマーク方式って公平公正、客観的な良いシステムだったのに、なぜわざわざ変える必要があるのだろう。記述式なんてどうするの採点。センター試験、マーク式を継続してほしい、保護者としてはそう思います。

年末と言えば、これを見ないと年を越せない『ビートたけしの超常現象Xファイル』を若干見逃した - Qu'en pensez-vous?

吠えるジョコビッチ ジョコビッチの雄叫びについて - Qu'en pensez-vous?

暑い夏は、火を使わなくて済む料理を作るべきだったのだ! - Qu'en pensez-vous?

パリのノートルダム大聖堂 - Qu'en pensez-vous?

静岡市清水文化会館マリナート

静岡市清水文化会館 マリナート

設計 槇総合計画事務所・大成建設設計共同企業体

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数年前に撮影した写真で、別の角度からの写真もあったはずなのだけど見当たらないので今回3枚だけ挙げておきます。
夜景バージョンの写真もあったはずなのだが何処へ・・・。

夜になると、内側の青とオレンジの直方体がボーっと浮かび上がって増々美しいです。
青とオレンジの直方体が菓子折り風にガラスの箱の中に入っているところが和の雰囲気も感じさせ、とても美しい建築です。

こちらの施設を、ジャスピアニストの上原ひろみさんが『音響が良い』と好んで選ばれているらしいですね。近く、上原ひろみさんのライブがこちらで開催の模様です。

上原ひろみ「SPARK」 - Qu'en pensez-vous?

上原ひろみさんのSPARKジャパンツアーライブ行ってきました - Qu'en pensez-vous?

朱鷺メッセ その1 - Qu'en pensez-vous?

朱鷺メッセ その2 - Qu'en pensez-vous?

槇文彦さん設計、テレビ朝日社屋 - Qu'en pensez-vous?

ティファールインジニオを型として使ったタルトタタン

今年のタルトタタンはいつになく色がおかしくなってしまいました。これは明らかに失敗だと思います。りんごの倒し方も昨年同様にしてしまい失敗。
年々悪化の一途を辿っている気がする。お菓子作りには心の余裕が必要。年々忙しかったり心配事が増えたり心労が増すばかりでお菓子も荒れ放題な気がする。ゆっくり暮らすことができて、立て直せる日が来ると良いのだけれど。

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今年はティファールのインジニオという取っ手が取れるティファールのフライパンを型に使って焼いてみました。
りんごの色がおかしくなったのは、少し目を離した隙に、一気にカラメルが黒くなって止まらなくなってしまったので、カラメルの色の失敗が影響したものと思われます。その他には、りんごにふりかける砂糖が多過ぎたというのもあるかも。今年は過剰に甘かった。

以前のもっとちゃんとしたタルトタタンなどはこちら。↓

タルトタタン風ケーキ2018年バージョン - Qu'en pensez-vous?

レシピの生地半量分で作るタルトタタン風ケーキ - Qu'en pensez-vous?

あけおめことよろⅡ - Qu'en pensez-vous?

今田美奈子先生のレシピでアップルシュトゥルーデルを2回試作してみました - Qu'en pensez-vous?

パン屋さんのアンデルセンタルトタタンを買ってみたところこんなでした。↓

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ちゃんこ鍋から元気をもらう

スタミナを付けたい、と思って最近熱心に作るようになったのがなんと『ちゃんこ鍋』。

土井善晴さんの「おかずのクッキング」の2017年のテキストの巻末の方に、相撲部屋のちゃんこ鍋の連載があったと思うんですが、それを参考にせっせと作ってます。
そんなのをしょっちゅう食べていたらお相撲さんになっちゃうかも、という感じで、確かに結構ヘビーです(う~んでもこれでもまだ太って来てはいない)。鶏ガラの濃厚さがかなり堪えます。お相撲さんてこんなの毎日食べてるなんてすごいな~と思う。
レバー入りのレシピもあったりして、煮汁が濃いです。レバーを入れる場合、レバーだけ下茹でしておいた方が、スープに嫌な臭いが出なくて済むようです。

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電子レンジで作るホワイトソースを使ったほうれん草入り『ナポリのラザーニャ』で祝うクリスマス - Qu'en pensez-vous?

秋の鮭料理 - Qu'en pensez-vous?

他ブログ様の影響で作ってみた蒸し野菜料理 - Qu'en pensez-vous?

J-POP懐古厨、この頃のお気に入りはCrystal Kay

最近聴いている音楽が、J-POP懐古厨ばかりで一層ひどくなりました。

夏前くらいまでは洋楽のラッパーJuiceWRLDが結構好きだったのに、夏の猛暑でJuiceWRLDの声が暑苦しく感じ突然興味を失い聴かなくなりました。

それから突然、スキマスイッチの「Revival」にはまりました。映画とかは見ていないのでわからないんですが、「Revival」は昨年の曲ではないかと思うのだけど、映画の曲だから今また流行っているのでしょうか?そこのところの事情はよくわからないんですが、スキマスイッチの「Revival」ってめちゃくちゃいい曲だな~と思ってしばらく気に入って聴いてました。

と思ったら、今度はCHEMISTRYへと移行しました。

そうしたら今度は、CHEMISTRYと同時代の2000年前後のJ-POPへと懐古が移り、当時、Crystal Kayが好きで良く聴いていたので再び聴き始め、最近はず~っとCrystal Kayばかり聴いています。Crystal KayCHEMISTRYとも共演してたりもするので路線としては同系で和製R&Bだから。
そう、皆この時代、宇多田ヒカルとばかり言っていたと思うけど、私は断然Crystal Kay派だったし、今もそう。私は宇多田ヒカルそれ程聴きません。絶対Crystal Kay
デビュー曲の「Eternal Memories」はCrystal Kayが13歳の時のもので、当時よく音楽専門チャンネルのミュージックビデオで何度も見聞きしてました。好きな曲です。当時、宇多田ヒカルが16歳で出てきてたから若くしてデビューする歌手が当たり前みたいになっていたし、当時自分自身もまだ若かったからそれほど驚きもしなかったけど、こんな曲を13歳で歌っていたんなら大変だったね、と今となっては思う。
YouTubeに「Eternal Memories」の新しいバージョンというかオーケストラバージョンみたいなのがあったので見ました。歌詞の内容にやっと自分が追いついた、とCrystal Kayちゃんは語っていました。
でも、「Eternal Memories」の原曲の方、ぜんぜん13歳の子供が歌ってるなんて気になりもしないですし、今となっては、「この曲って当時、誰に向けて、どういう人たちが聴くためにリリースされたものだったのかな?」と考えてしまいました。確かに私は当時「Eternal Memories」を聴いていたけど、まだ自分自身も若かったから、私自身にとっても歌詞が大人っぽかった。今くらいの年齢になってみればちょうど良く昔を懐古できるかもしれないと思う(う~ん?今でもまだ早過ぎて、もっと年老いて老後にならないと本当の意味では懐古できないかも)。そう考えると、若者にとってはまだ見ぬ未来のことを過ぎ去ったことのように歌った不思議な曲で、年を取らなければ追体験できないという不思議さがあります。すごくしっとりしたバラードなんだけど、打ち込みっていうの?打ち込みが、最近のドレイクの曲みたいで、今から20年前の曲とはとても思えない感じがする。未来の先取り的な。
個人的には、やっぱりヒットした曲たちが一番好きですけどね。もちろん「恋におちたら」とか、パルコのCMの曲とか、CHEMISTRY安室奈美恵とかと共演してる曲とか。「恋におちたら」なんて私は今でもカラオケで歌います。
というわけで、Crystal Kay懐古厨で秋の始まりを迎えたのでした。

J-POPではケミストリーとスキマスイッチは結構好きだ - Qu'en pensez-vous?

アリアナ・グランデ「boyfriend」のミュージックビデオが好き - Qu'en pensez-vous?

知らない方が幸せになれる、J-POPの衰退との関係が噂されるコード進行の話 - Qu'en pensez-vous?

2019年6月時点の洋楽概況 KHALID&TYGA&Juice WRLD&ZAYN - Qu'en pensez-vous?

デカルト的視点で「非ず非ず」を考えてみる

当ブログにおいて、息長くアクセスされる記事として挙げられるものの1つに以下の記事があるようです。↓

「非ず非ず」を西洋の言い方に置換してみると? - Qu'en pensez-vous?

「非ず非ず」について、前回とはまた少し別の視点から考えてみたいと思います。前回のブログはデカルトの哲学を下敷きにして論じていました。その時も薄々今回書いてみようとしていることは頭にありましたが、それ以上問題を複雑化しないために、前回はそこまでの内容で話を止めておきました。今回は無謀にも更に踏み込んで書いてみます。

そもそも「非ず非ず」とは何かというと、否定の形式による空間生成装置という建築家原広司さんによる提案であって、場を誘起する力を持つファンタスティックな空間理論となっています。西洋哲学の弁証法が境界と容器性を伴うのに対して、非ず非ずは境界づけられない場を生み出すとされます。ΓΓAの操作により突如その地点の地中から湧き水が噴出するかのように豊かな場が成るイメージです。大変興味深く、面白く、他では聞いたことが無い理論で、建築家原広司さんの著書「空間<機能から様相へ>」最終章「<非ず非ず>と日本の空間的伝統」に詳しく書かれています。

定家の歌と英語の詩が例として出てきて、前回は定家の歌の方から論じましたが、今回は英語の詩の方から先に始めたいと思います。

前回、説明に苦慮した英語の詩を考えます。

1つずつ全てに否定が付いています。実は西洋哲学においては、こうした否定の形式は本来は歓迎されないものらしいのですが(デカルトが専門の先生からこの件でなく別件の日本的否定表現に対する見解としてそのように聞いた。専門家がそうした否定の形式を知っているということは、19世紀~20世紀初頭~戦前の日本の思想界では、否定の形式が流行していたのではないか、とちらっと思いました。)、デカルト専門の先生の忠告を今回は無視することにします。

この詩の否定の重複ですが、これは一見否定に見えているだけで、実際には「制限的用法」に相当するものではないかという疑念が生じて来ます。

notをどのように訳すかだと思うのですが、

~でもなく、~でもない
と「空間<機能から様相へ>」中の訳ではなっています。

~である
~でない
~ではない
こうして3パターン並べて考えてみたいと思います。

とすると、この詩は、上記3パターンの3つ目の「~ではない」という表現は、カントのカテゴリー表にも分類として出て来る「制限性」に相当しているように思えてきますがどうでしょうか。「制限性」が果たして文法上の「制限的用法」と結びつくものなのかどうか、私にはまったくわかりません。「わからないのに書くな!」と怒られそうですが、これは大真面目な論文でも何でもなく、ただのブログのお遊戯なので、自由に書いて思考を巡らせてみるのもありかなと思ってます。

~でない、~でない、ではまるでオオカミ少年です。
~ではない、~ではない、と考えると、ただの否定というよりも何か別のものを示唆している可能性が出てきます。

非ず非ずは、意味的にはnotよりもexceptの方がその意味内容を的確に示せるのではないのだろうか、と突然思いました。
not
except

「非」という字も、きっとそれ以外のところのものを指し示そうとしているのではないかと思えます。
ただし、notという否定によって、主体が元あった場所へと戻る(アリストテレスのトポス)という操作が重要事項であるらしいので、notをexceptの意味で捉えてしまうとトポスの原理が消えてしまいますので、結局のところexceptで捉えるのは不可となります。ただ、理解としてはexceptの意味でnotを捉えるとよりわかり易いのではないかというふうには思います。

更に、前回のブログ記事では、この詩は本質存在essentiaについての記述であると書きました。
本質存在essentiaについてですが、この詩の本質存在の一覧のそれぞれの状態とは、果たしてどういった性質を持っているでしょうか。
全て主語に対する定義になっていますが、これらのものはすべて観念上の存在であり、実際に触れたりはできないものです。デカルト的な言葉遣いをするなら、思念上の存在は外延量を伴いません。そもそも頭の中の思念は、延長空間に出て行くものではありません。実際に見て触ることのできないもの、思念上にある存在in intellectu。これを何と呼ぶかは、西洋哲学で説明するとしたら、各哲学者によってその呼称は微妙に異なると思われますが、デカルトの用語を使用するとしたらrealitas objectivaに相当するのではないでしょうか。repraesentatioでも間違いではないかもしれませんが自信がありません。プラトンにおいてイデアと呼ばれた想像上の存在はむしろ純粋形態を伴い天上から燦然と輝きを放つようなものでしたが、デカルトにおいてはよりパーソナルに万人に共通する現象として輝く知性が地上に降臨した感があり、デカルトの三項契機の第三項目にはいわゆる様相modus/modiも登場してきています。

次に定家の歌。

見渡せば花も紅葉もなかりけり

花がない
紅葉がない

花がある
紅葉がある

この場合の花や紅葉は存在としてどのような状態にあると考えられるでしょうか。
前回は、事実存在existentiaとして説明しましたが、上記の本質存在essentiaの時と同様にデカルト的思念上の問題を挿入して行きたいと思います。

花がない
紅葉がない

花がある
紅葉がある

今回の議論では、否定の表現でも肯定の表現でもどちらでも良しとすることにします。

というのは、定家のこの歌では、もはや眼前に花も紅葉も無いことは決定しているため、花と紅葉は実際に目に見えて触れられる状態では存在していません(実在していない)。
しかしながら、頭の中には対象の不在にも関わらず「花」と「紅葉」が想像され、目の前にその二つが投影されている状態にあります。
この状態を何と呼ぶか。事実存在の非実在様相でもあり、思念上でも存在している。
今回はこの件について非常に厄介に感じています。
事実存在の否定というだけなら単純なのですがextra intellectum、どうやらそれは本質存在同様に思念上にも同様にして在るin intellectum。このことを何と表現すれば良いのか。つまり、頭の中に事象が存在しているだけならよいのですが、実際には、目の前の光景の中に、幻影のように対象が事実存在しているかのように我々は錯覚する。この点が非常に厄介だと感じています。この状態を表示できる用語が西洋哲学の中に果たしてあるのだろうか。・・・それはrealitas actualis?
否定された事実存在だけならdistinctio modiされたsubstantiaと言えばいいだけかもしれないし、resで事足りるかもしれない。しかし、思念上に堂々と侵食して来た(介入して来た)事実存在は、本質存在の所で既に出てきているrealitas objectivaと同一視してしまってよいものであるはずはなく、おそらくこの場合realitas actualisが対応するデカルト用語なのではないかと現時点では思われます。

だんだんわからなくなってきたので基本に戻るとして、存在と一口に言っても、本質存在essentia、事実存在existentiaというふうに、存在には2種類あるのだということを前回書きましたし、このことはデカルトによっても指摘されています。
よく日本には哲学の土壌が無いと言われますが、実は日本語は、古語の時代から現代日本語に至るまでずっと、このessentiaとexistentiaの区別が付いている超優秀な言語体系であったがために哲学が確立される必要が無かった、と考える研究者もいます。西洋の言語体系に不備があることによって西洋哲学は成立しなければならなかったという見方です。

これだけ書いてもまだ肝心の否定の形式までは話が行きませんし理解不足のため書くことができません。今日のところはここまでです。

理解が間違えている部分もあるかもしれませんのでご了承下さい。特に、realitas objectivaとrepraesentatioの関係、それらとrealitas objectivaとrealitas actualisすら不明瞭な状態で書いていますので、これを読んで本気になさらないように是非ともご注意下さい。気が付き次第、訂正版を挙げる可能性もあります。

「非ず非ず」を西洋の言い方に置換してみると? - Qu'en pensez-vous?

吠えるジョコビッチ ジョコビッチの雄叫びについて

書こうと思ったのにまた忘れていたことがありました。大した話ではないんですが。

東京オリンピックに向けジョコビッチが楽天オープン優勝 - Qu'en pensez-vous?

楽天オープンの解説で松岡修造さんが「なぜここでジョコビッチが吠えるのか説明を求められている気がする!」などと言って、視聴者に対して熱心に説明されてました。

別に視聴者としては試合中ジョコビッチが吠えるのはいつものことなので特に驚きもしないんだけど、それ以外の解説もとっても至れり尽くせりな松岡修造さんの解説で面白かったんですが、そのジョコビッチが吠えるということについてブログに書き忘れた、と思ってました。

まあだいたいどの試合でもジョコビッチって吠えてますけど、あれマジで迫力あるというかあ~吠えた~って感じ。というか、実況の人がいつも「ジョコビッチが吠えました!」って言う。犬!?狼!?コート上でかなりド派手に、大抵自分のファミリーボックスの方に向かって行って、コーチやチームの人達に対して雄叫びをあげてます。雄叫びだけでなく、ジェスチャーをしながら何やら怒り散らしてることもある。それどころか、ゴリラみたいに胸を叩いてることすらある!

昔とかは、対ナダル戦でラケットを噛んでいたこともあったりしたと思う。

それが最近は、実況の人もいろいろ語っているように「チャンピオンとしての振る舞い」とかいろいろ気にかけなければならないこととかあるのかどうかわかりませんが、まあ興奮してくると吠えたり胸を叩いたりする。

ま~攻撃的攻撃的。すごいのなんの。

あれで、ウインブルドン優勝すると、キャサリン妃やウィリアム王子と対面して握手したりするんだから・・・。

でもたまに、ものすごく注意散漫で、最初から負ける気でいるのかヘラヘラしてる試合もたまにある。そういう時、まったく別人みたいに見えて気持ちが悪い。そういう時もコーチがいるチームの人達の方を向いている。どうしても勝ちたい試合と、勝たなくてもいいと考えてる試合があるみたい。それに苦手としている選手がいるのも確か。世界ランク1位のジョコビッチでも、負けることはありますよ、それは。

東京オリンピックに向けジョコビッチが楽天オープン優勝 - Qu'en pensez-vous?